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スタッフ事務所通信

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毎月スタッフより日々感じたこと体験したことを自由に掲載させて頂いています。お気軽にご覧下さい。

2023年3月掲載分

~「歳とったから」という免罪符~

 顔はわかるが名前が出てこない。何かを取りに書庫に向かったのに書庫についたら何を取りに来たのか忘れてしまう。退社時に事務所の施錠を行ったかがわからなくなり帰宅後再び事務所を訪れて施錠の確認をする。メガネを掛けているのにメガネを探す。メガネを掛けていないのにメガネをはずそうとする。ちょっとしたこともメモを取っておかないと不安になる。
 最近、記憶力の低下を感じたり、無意識で不可解な行動をとるようになった私自身の行動例です。そんな状態が続く中で自分の行動、言動が少しずつ変化していることを感じています。
 これまでは会話する時には、極力相手の話を聴いてから話すように心掛けていたつもりです。しかし、記憶力が低下しているという意識から、「忘れないうちに伝えたいことを話さないと忘れてしまう!」と相手の話を遮って話はじめてしまうようになりました。(私と話した時に自分勝手だなぁとかせっかちだなぁと感じさせてしまっていたらごめんなさい。)
 文字が読み難くなり、更に文章自体を読むのがおっくーになってきました。
 例えば、携帯電話料金や電気料金の割引サービスの広告の説明文が理解できない→読むのが面倒くさくなる→読まないといった具合です。
 更には字を書くことさえも、おっくーに感じるようなりました。ただでさえ下手くそなのに雑な書き方でミミズの這ったような字になり他人様には読めない。時には自分でも読めない…
 老人の病気自慢みたいな事象を書き連ねてしまいましたが、「そうそう!そんなこと私もあるある!」と同調して頂いた方もおられるのではないでしょうか。確かに若い時違って、歳をとったことに因って発生することはあります。
 でも、その後の対処方法は歳のためなのか?「歳とったから」という言い訳を免罪符にただ怠けてしまっているだけなのではないか?
 「歳とったから」とは別ですが「忙しい」を免罪符にやらなくなったことや雑に扱っていることはないだろうか?と自問してしまいます。
 歳をとっていてもいつも丁寧できれいな字を書く人はいます。身なりもきっちりしています。忙しくても普段と相変わらず丁寧に行わなければならないことはあります。
 最近、がさつになってしまった自身の行動言動を反省し、確定申告真っ只中のこの時期だからこそ「ひとつひとつの行動、仕草、言葉、文字を丁寧に大切に行わなければいけない」と思いをあらたにしています!


令和5年3月
監査担当者 山本 哲也

2023年2月掲載分

~人間万事塞翁が馬~

 年が明けてすぐのこの時期は、日の出時刻が一年で最も遅いので、朝の散歩で歩き始める時は、まだ暗く、歩いている途中で日が昇ります。日によっては大変綺麗な朝焼けを見ることもできます。
 “春はあけぼの“の書き出しで始まる清少納言の『枕草子』では、“冬はつとめて“(早朝)…が趣きがあるといっています。けれど私は冬も“あけぼの“が趣きがあると思います。“あけぼの“は夏も秋もいいですね。(税理士法人も“あけぼの“(^_^))

 日の出が見られればと、何の根拠もなく、その日一日がいい日になるような気がします。それが綺麗な朝焼けとなればなおさらですね。
 この時期から寒さはピークを迎えるので寒がりにはもう少し我慢の日々が続きますが、日の出時間が少しずつ早くなったり、日脚がだんだん長くなるとなんだか気持ちが軽くなっていくような気がします。もうすぐ春が来る、もう少し我慢すれば暖かくなってくるということを先んじて実感するからでしょうか。

 “人間万事塞翁が馬“という故事成語があります。「一見、不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりすることのたとえ。幸運か不運かは容易に判断しがたいということ。」と辞書にはその意味が書かれています。
 これまでの自分の主観で物事の善悪、幸運か不幸かを判断せずに「人間万事塞翁が馬」的に考えれば、これまでと違う価値観が得られるかもしれませんね。
 「冬は寒くて嫌だなぁ。」「確定申告業務で忙しい日々が続くのが大変だなぁ。」と私は冬にあまり良いイメージを抱くことができませんでした。でも、寒い冬があるからこそ、暖かな春の兆しを嬉しく感じさせてくれる。忙しい確定申告業務があるということは、有り難く仕事をさせてもらえる。難しく煩雑な業務に直面し苦労するということは、自らの業務水準や人間性を成長、レベルアップさせてくれる。そんな風に置き換えていくことができるのでしょう。
 悪い面や、嫌なことだけをみるのではなく、良い面がないかと考え方、見方を変えれば、厳しい環境の中に小さな希望の光を見つけることができ、その厳しさも乗り越えて行けるのかもしれません。
 逆に良いことが起きた時、そしてその状況がしばらく続いたとしても、浮かれることなく、悪い状況に備える必要性もあるのだと思います。
 コロナ禍、景気動向、政治情勢、環境問題、人間関係、…だんだん悪くなること、逆にだんだん良くなること様々ですが、もし考え方一つで、自らの弱った心、落ち込んだ気持ちを介抱したい時、逆にお調子者となって浮かれている自分を戒める時には、「人間万事塞翁が馬」と呪文のように口ずさむのもいいかもしれませんね。



令和5年2月
監査担当者 山本 哲也

2023年1月掲載分

~一年の計は元旦にあり~

 最近、本を一冊読みきるのが、なかなか億劫に感じるようになってきてしまいました。そんな中、本屋で書籍を選んでいると星新一さんの本がちょうど目に留まり、「短編集なら、空き時間に読んでもキリよいところまですぐ読める!このショートショートでも読もう。」と一冊購入しました。空いた時間で読みながら数日で読み終えました。短編集だから読みやすいということもありますが、文章自体が分かりやすく、前に戻って読み返して理解するという作業を殆んどしなくていい文章構成というのが、星新一さんが大作家たる所以かもしれません。

 後書きにある解説に星さんのこんな言葉が引用されていました 「一つの発想を得るためだけに八時間も書斎に閉じこもる 」世の中に1000編を超えるストーリーを提供した人でも構想を出すのに大変苦労したのですね。しかし、そのあとに「この峠を越せばあとはそれほどでもない」と続いています。無から有を創り出す、静から動へ移行させる、そこが最も力を要するということで、一旦動き出せばそこからは割りと順調に物事は進んで行くのだということですね。
これは如何なる事象にもあてはまる普遍的な法則なのかもしれません。

 人生設計、イベントの企画、仕事の段取り、晩御飯の献立…大きなことから小さなことまで、一生かけて行う重大事や毎日行う日常的な事柄。あらゆる事象を私たちは頭の中で思い描き、イメージし、行動に移しています。イメージした直後に苦もなく行動に移せることもあれば、イメージしてもなかなか行動に移せないもの、イメージすら出来ないもの…色々あります。何もイメージせずに成り行きに任せるということもできます。
 私の人生経験においては、“イメージなしの成り行き任せ“にして、“棚ぼた式“に成果を得たものは皆無です。そんな考え方で行ったものは、記憶の片隅にも残っていない無為な事象となってしまっています。

 「棚からぼた餅」の反意語として「果報は寝て待て」があります。
「イメージなしの成り行き任せ」ではなく「イメージありの成り行き任せ」でもなく「イメージありの行動あり」の先に「果報は寝て待て」があるのではと思います。
“一年の計は元旦にあり”といつもこの時期は思います。今年の私のテーマは
「何事にもイメージありの行動ありであたる」で頑張りたいと思います!

(抽象的なテーマで三日坊主になりそう…(^_^))


令和5年1月
監査担当者 山本 哲也

2022年12月掲載分

~心の傷を癒すには?~

 先日うちで飼っている五匹の猫のうちの一匹が突然死んでしまいました。まだ五歳。歳の順番でいったら下から二番目で、まだその母猫は元気にしています。気が強いのに臆病者で一番手のかかる猫でした。手のかかる=費やした時間が多く、その分だけ思い入れが深かったことと、歳老いている訳でもなく「突然」であったことで、悲しみ、喪失感があり、心へのダメージは大きなものでした。「たかが猫ぐらいで…」とか「五匹いるうちの一匹でしょ?」と思う人もいるかもしれませんが、心に受けるダメージは人それぞれで違うものですから…

 心にダメージを負っても、傷口から血が出る訳でもないので表面的には分かりにくいと思います。でも確実にダメージを受けます。みなさんも経験があるかと思いますが、近しい人との死別、突然の別れ、交通事故、業務上の失敗、人間関係の悩み…等々。心にダメージを受ける原因は無数にあり、その傷の深さもまちまちだと思います。
そんな心の傷、ダメージをみなさんはどう治療しますか?
病院に行くという選択肢は余程のことがない限りありませんね。
私の心はダイヤモンドなので傷つくことなんてない!っていう人もいませんよね?
 他人に話してその思いを共有してもらう。感情のままに泣きわめく。大声で叫ぶ。ひたすら食べたり飲んだりする。三年前、愛犬が亡くなった時、私は山に登りました。
 いずれにしても、即効薬は無いのではないかと思います。

その事実を忘れ去るのではなく、冷静に受け止める。そして、目の前の日常を日々頑張って過ごす。そのうちに“時“がその傷口を埋めてくれたり、他の何かが心を埋めてくれて、自然治癒していくのではないかと思います。
 でも、しばらくすると折角、癒えた心を再び傷つけるような出来事が降りかかってくるのです。
 生きて行くのはその繰り返しで、命あるかぎり続いて行くのだと思います。
 今に感謝し、自らのできることを粛々と行い、たまには深呼吸して気を休める。
 それが私の導きだした対処療法です。
 深呼吸がため息とならないように気をつけながら…


令和4年12月
監査担当者 山本 哲也

2022年11月掲載分

~何かを捨てる・何かをやめる!~

 今年は(も?)衣替えの10月1日まで暑さが終息しませんでしたね。それまでノーネクタイだったので、その日ネクタイを締めようと、しばらく見ていなかったネクタイ掛けから一本取り出しました。その時「何本もあるけどよく見ると全くしないのもあるなぁ」と思い、次の休みの日に整理することにしました。していないネクタイだけれど何となくこれまで捨てられなかったものがかなりありました。「これは気に入ってよく締めていたけど少し擦り切れてしまってダメだなぁ。」「これは新品に近いけど殆んど締めることがないなぁ…」一本一本に思いを馳せてしまっていたので、これまで捨てられなかったのでした。「これではダメだ!」と思いきって10本ほど捨てました。
 「勿体ないお化け」を怖れて育った私は、今、流行りの断捨離とは真逆の「勿体ない精神」、「モノへの思い入れ」を強く持った性分かもしれません。
 仕事で使う筆箱の中には4、5センチ程に短くなった赤色鉛筆に金属製のキャップを着けたものが入っています。机の引き出しには、ちぎれた消ゴムが数個。30年使い続けている数字の見えなくなった定規。入所当時から使っていたファスナーの壊れた筆入れも小物入れとして業務鞄の中に。こう書き出してみると我が事ながら、あまりよい表現ではないですが「貧乏性」とか「しみったれ」だなぁと他人様から思われても仕方ないと感じます。

 前々回「不安を解消させるには、自分を変化させることが必要であり、その為に何か新しい物事を始め、行動することが大事」といった内容を紹介させて頂きました。
 「同じコップで新しい飲み物を飲むには、まずは今入っているものを飲み干さないといけない」なんて例え話を聞くこともあります。
 何かを新しく始めるためには何かを捨てたり、何かをやめなければなりませんね。
 今まで、当たり前にしてきたことでも「これ意味があるのかなぁ?」と思うことありませんか?「前任者からの引き継ぎ事項」「上司が言うので仕方ない」等々が壁となりなかなか改善できないことって意外に多くあるのかもしれません。一歩踏み出してトライしてみると思わぬ効果が得られるかもしれませんね。
 私はというと、とりあえず、机の引き出しにあった、ちぎれた消ゴムを前の席の人にあげました。(^_^)
 決してパワハラとかではなく、本当に必要としていた人にあげた消しゴムがたまたまいくつかにちぎれてしまっていただけですので誤解なきようお願いします!


令和4年11月
監査担当者 山本 哲也

2022年10月掲載分

~「待つこと」を楽しむゆとりを持ちましょう!~ 

最近は「待つ」ということが少なくなってきましたね。インターネット、携帯電話、通信販売、宅配便、コンビニエンスストア、予約サイト等々の普及、発達により私たちの生活環境は変化し、「待つ」ことから徐々に解放されてきました。便利さを享受し、快適な生活を送ることができるようになりました。

『時は金なり』という格言から、「時間を無駄にすること」は“悪いこと“と解釈されていますね。「時間を無駄にすること」=「待つこと」ならば、この便利さを享受できる環境の変化は◎ですね。

また「待つ」ことは「我慢する」ことに近い感覚もあるように思います。便利になり待つことが少なくなった今日でも、行列のできる飲食店、3ヶ月待ちのお取り寄せグルメ、1年待ちの宿泊施設、熱伝導のいいフライパン等々の人気のあるものを手に入れる為に「待つこと」ついては、「仕方ないこと」と自らを納得させるのではないでしょうか。

いずれも、「待つこと」=「悪」、「待つこと」=「仕方ないこと」と「待つこと」自体には負のイメージがある印象です。

話は少し変わりますが、「子供の頃の遠足の前の夜はうれしくてなかなか眠れなかった」なんてことをよく聞きますね。(本当にそうだったかどうかは別にして…)これは眠ることよりも、次の日の遠足ことを頭の中であれこれと想像して、ワクワクして楽しくなって、なかなか眠れないということですね。

似たような話で、宝くじを買った人が抽選日までの時間で、もし●億円当たったら、あれを買って、これも買って、ここに行って、そこにも行って…等々色々思いを巡らして楽しんで、いざ抽選日を迎えると項垂(うなだ)れ、現実に引き戻される。なんてこともよく言われますね。

遠足の前の夜…、宝くじ…、この二つは目的物を「待つ」というよりも「待つこと」自体を楽しんでいる、「待つこと」≒「楽しみ」というように思われます。

「待つこと」に対して負のイメージを感じるのではなく「楽しみ」を感じられれば心豊かな人生を過ごせそうですね。

私事ですが、2ヶ月程前に、実に15年振りの車の買い換えを決断し注文しました。昨今の半導体不足等の影響で噂通り数ヶ月待ちと伝えられ、未だに納車に至っておりません。今のところ「待つこと」=「悪」、「仕方ないこと」ではなく、待つことを「楽しみ」ながら過ごしています。けれど、目安として提示された納車予定日を過ぎたとしたら、その心持ちも変わって、クレーマーになってしまうかもしれません。(笑)

心豊かに生きるには自分自身の感情のコントロールが大切ですね!

令和4年10月
監査担当者 山本 哲也

2022年8月掲載分

~記憶に残る数字ありますか?~

 皆さん、記憶に残る数字、忘れられない数字ありますか?
 昨今のIT社会では暗証番号、パスワードが必須なので、それらの忘れられない数字に絡めて設定する人もいるのではないでしょうか。誕生日、電話番号、住所の地番…色々な数字があると思います。
 私にとって、「4.7.4」が記憶に残る数字の並びの一つです。それが何かというと税理士法人あけぼのの前身の白柳経営会計事務所に入所したのが、平成4年7月4日でした。それだけだと忘れてしまいそうですが、社会保険の健康保険証に資格取得日が表示されている為、病院にいく都度眺めているうちに意識が刻ませたのかもしれません。また、福利厚生の一環で勤続5年毎に永年勤続表彰してくれる制度があるので入社年月日を意識することが比較的多かったことがその一因でもあります。そして最近、書類を記入する上で日付を書くと「令和4年7月4日」となりました。その「4.7.4」の並びを見た時、見覚えのある、何となく懐かしい思いに駆られました。
 元号が平成から令和に代わり同じ数字の並びの「4.7.4」でも、30年の歳月が経過しました。
 日本の経済状況はバブル崩壊後の停滞状況から「失われた20年」といわれ、最近では「失われた30年」とも言われています。まさにその真っ只中に私の「4.7.4」の30年もありました。
 私の入所した頃は企業の廃業率は5%前後と言われており、単純計算で企業の寿命は20年と計算した覚えがあります。また「企業30年説」という考えもあり、そんな中で同じ職場で30年を過ごせてこられたことに感慨はひとしおです。
 会計事務所の業務を行う環境も随分変わりました。今、パソコンはノートパソコンやタブレットが主流ですが、当時は、記憶媒体が5インチのフロッピーディスクのデスクトップパソコン、持ち運べるタイプのパソコンと言えば「ラップトップ型(膝の上に乗せるタイプ)」と呼ばれる大きなものでした。携帯電話もまだ普及していませんでしたし、インターネットもありませんでした。さすがに私はそろばんで計算ということはなかったですが、そろばんでやる方が早いという人もいました。帳簿はもちろん手書き…当時どうやって業務を行っていたのだろう?と思います。もう現在のツール無しでは業務を行うことは絶対に出来ません。
 30年なんとか過ごしてこられたのは、このような業務環境の変化、そして何よりこれを読んで下さっている方を始め、これまで出会った方々のお陰だと思います。
 「石の上にも三年」と言う格言にも従わず、1年数ヶ月で前職を早々と退職した人間が三年の10倍もの歳月を重ねることができました。本当に有り難うございました。
 ちなみに「4.7.4」に関連する私のパスワードは一切無いので、ご安心ください!(^_^)

令和4年8月
監査担当者 山本 哲也

2022年6月掲載分

~「思い込み」と「長年の勘」~

 ある朝、平衡感覚がおかしくなったのか?目が悪くなったのか?と感じることがありました。少し目が回るような、ピントが合わないような違和感を覚えました。
 最近は朝仕事をする前から目薬をさすことも珍しくなくなったので、「だいぶお疲れなんだな」と自分で勝手に思い込んでいました。
 朝一番、事務所でパソコンのスイッチを入れてメールのチェックをしようとデスクワーク用の眼鏡に掛け替えようと普段使いの眼鏡をはずしたその瞬間…
 眼鏡の片方のつるが根元から折れて完全にとれてしまいました。
 この時点で初めてピントが合わないような違和感を覚えていた原因がわかりました。片方の目だけ視力の矯正が上手くできてなかったから違和感を覚えたのでした。
 この件に関して私の二つの「思い込み」がありました。
 一つは最近疲れているから一時的に目まいぐらいしても不思議ではないという「思い込み」です。今だかつて目まいなんて感じたことがないのにもかかわらず、何故だかその事象が今起きていると「思い込み」をしまいました。
 もう一つは眼鏡がそんな状態になるまで、異常を感じられなかったこと≒眼鏡が壊れることがないという「思い込み」です。眼鏡が壊れるということは日常茶飯事とまではいいませんが、あっても不思議なことではありません。いつ起きても不思議ではないことを全く予期していない「思い込み」でした。要するに私が自分勝手に判断して頭の中でそう考えているだけだったのです。
 しかも、おめでたいことにその判断に一時間近くなんの疑いも持たずに過ごしていました。「眼鏡が壊れる前に何回かは脱着してるでしょ?それで気づかないの?」と思われる方もいますよね?そう自分自身が真っ先にそう突っ込んでます!気づかないんです。「思い込み」とは怖いのものですね。
 この事象に限らず、物事の判断は自分自身で、瞬時に行い、しかもいつも同じように判断するわけでもなく、その時々において適当に判断をするわけです。そして必要な行動を起こしたり、そのままやり過ごしたりするわけです。
 この判断により物事が思う通りに行かなかった(悪い結果をもたらした)場合「思い込み」となり、思い通り(想定した通り)に進んだ場合「長年の勘」が働いた!と言うのですね。
 「そうそう!」「そんなことあるある!」とここまで読んで頂いた皆様の納得された顔が思い浮かびます。
 「何故か?」って?もちろんそれは「長年の勘」です!

令和4年6月
監査担当者 山本 哲也

2022年5月掲載分

~クレームを言ってから感じたこと~

 ある日曜日の朝の出来事です。トイレの便座の蓋の根元のプラスティック部品が割れてしまいました。蓋を開け閉めするとその部分が電源をオンオフする仕組みとなっていました。とりあえず接着剤で補修してみました。小さな部分なので接着剤が手に張り付いてガサガサになりましたが、なんとか割れた部分を上手く接合することができました。充分乾かしてから元のところに取り付けて正常に作動するか試しました。しかし、接合部分にかなりの負荷がかかるのか再び割れてしまいました。
 仕方なく修理を諦め、販売店に「部品を取り替えれば済むので部品だけ売って欲しい」と依頼しました。すると「その商品は修理が原則なので、部品だけの販売はできません。修理業者を一旦お伺いさせて頂き現状を確認させて頂きます」との回答。「その修理業者はその交換部品を持っているのですか?」と聞くと「持っていません。修理が必要となればその時点で部品を発注して後日改めて取り付けに伺わせます。」「はぁ?」明らかに時間と労力の無駄であることを何度か説明しましたが「部品だけの発注はできません」の一点張り。その融通の無さに怒り心頭で電話を切りました。
 だったらメーカーに直接連絡して部品を取り寄せようと考えました。しかし、日曜日受け付け時間外。
 仕方なく販売店に再度連絡し、部品調達対応部署の連絡先を教えて欲しいと依頼しましたが、また修理依頼をとの一点張り。
 ホームページで本社の電話番号を調べてことの次第を一から説明し、部品の発注を依頼しました。今度は電話対応してくれた人は、「修理依頼が原則ですが、部品単独の購入が可能かどうか折り返し連絡致します」と柔軟な受け答えでした。
 しばらくすると折り返しの連絡がありました。本社からでなく、あの融通の利かなかった近隣店舗の担当者からでした。
 「先程は申し訳ありませんでした。部品の発注を致します…」、「最初からそうすれば…」との言葉を飲み込み事務的な用件を済ませ電話を切りました。

 一連の対応で折角の休日が半日潰れてしまいました。最後には私の希望の通り部品の発注は出来ました。しかし、クレーマーと化した私は、対応相手も私自身も嫌な気分にしてしまいました。接着剤のついたガサガサな指先を見ながら、こんなにも怒ってしまったことに自己嫌悪に陥りました。別にもっと良い対応の仕方があったのではないかと反省しました。
 「察しろよ!」ではなく「察してあげないと…」その心持ちが必要だったのだと思います。みなさんも“自分が正しい”という思いに強く依存することありませんか?

令和4年5月
監査担当者 山本 哲也

2022年4月掲載分

~「老い」と「健康」~

 先日、久しぶりに両親を連れて出掛けました。コロナ禍でなかなか外出することがなく、父親は元々持病を持っているので体調が良い時でないと外を散歩することもままならず、歩く機会はめっきり減ってしまいました。連れて行ったのは草花や庭木などの植物を販売しているかなり広い施設でした。途中椅子に座って休憩しながらでしたが小一時間歩きながら品定めをしていました。買い物を終えると母親が歩数計を確認し、「久しぶりに歩数が2000歩を超えた」と幾分嬉しそうに言っていました。毎日10000歩を歩いている私からするとその1/5です。しかし、両親からすると久しぶりの大した歩数だったのです。
 その帰りに昼食にうどん屋さんに寄りました。両親はランチメニューを選びましたがとても食べきれないので、量を減らしてもらうように注文をしました。しかし、量を減らしても二人とも食べきれませんでした。
 歩くことがつらくなる、食が細くなる。そうなってしまうと、どうしても以前の、(もう少し若い時の)状態と比べてしまい「随分、年を取ったなぁ」(老いてしまったなぁ)感じてしまいます。

 最近は“人生100年時代“とか“健康寿命“という言葉をよく耳にするようになりました。冗談で「ピンピンコロリで人生終わりたいねぇ」とか言ったりしている人もいますね。
 長生きするならば、家族に迷惑をかけず、自身も辛い闘病生活をしたくないという思いに駆られるのも必然だと思います。そこで「健康でいなければ…」という思いが強くなり一つの強いストレスが生まれます。
 五木寛之さんの『健康という病』という著書を読んだことがあります。健康を意識するあまり逆にそのストレスで健康を害することもあるという内容が確か書かれていたように記憶しています。
 全てのストレスを避けて生活をすることは不可能に近いですね。老いていくことを緩やかにしたり、フィジカル的な健康を維持し続けていくことは誰しもの願いです。しかし、そう願っていても、思うように歩けなくなるとか食が細くなる、もっと深刻になると大病に罹患することもあります。そんな時にメンタル的な健康まで害されないように、その状況を受け入れ、少しでもストレスを受けないような心持ちでいられることが大事なことなのではないのかなぁと改めて思いました。

 そう書きながらも「健康でいなければ」という病にかかっている私はその翌日、普段の倍以上の23,199歩 も歩いてしまいました。(歩き過ぎ!ですね(^_^))

令和4年4月
監査担当者 山本 哲也

2022年3月掲載分

~便利になった!」そんな時に思うこと~

 時節柄、私達の生活基盤がある東三河でも、大都会ほどではないにせよ、仕事の仕方も少し変わってきました。人との接触機会を減少させる為に、在宅勤務、Web会議、消毒液、マスク、検温等々実践されています。後ろで犬吠えるのが聞こえる在宅勤務の方と電話で話をすることもこれまではあまりないことでした。Webで研修を受講したり、研修会を行ったりもするようにもなりました。先日は決算報告に伺った時に急遽社長への説明をWebで行いました。先方がWeb会議に慣れていらしたので、すぐに資料をスキャナーで取込み、メールで送信して準備して頂きました。しかし、私が不慣れなため、資料の説明に四苦八苦してしまいました。何事も経験ですので、不手際があったこの決算報告をきっかけに次回からは少しでも分かりやすくお伝え出来ればと思っています。貴重な経験をさせて頂き感謝しております。
 決算報告が終わった後、色々準備して頂いた方のパソコンで電子納税の手続き確認を行いました。そのパソコンの壁紙が犬の写真だったので、「電話の後ろで哭いていた犬ですか?」と聞いたところ笑みを浮かべながら「そうですよ。」と答えてくれました。そこから決算説明以外の生命保険の件、相続の件と話題が広がりました。
 これは実際に面と向かってお話しさせて頂いたことにより得られた有意義な時間だと思います。Webを利用したコミュニケーション、インターネットを通じて行う電子申告、電子納税。ものすごく便利になったことを私は実感していますし、皆さんもそうだと思います。
 一方、別の方からこんな話を聞きました。
 「ある人が体調が悪くなり欠勤の連絡を電話ではなく、メールで行った。それが何らかのトラブルで勤務先に伝わらずに無断欠勤状態になった。そればかりか折り返しの連絡が取れなかった為、会社側は逆に色々な心配をして、本人宅を訪ね安否確認した。」
 上記は大雑把な概略ですが、皆さんからも色々なご意見が出るのではないかと思います。
 IT技術の目覚ましい発展、そこから派生しSNS等便利になったコミュニケーションインフラ。反面、人とのコミュニケーションが不足しがちになったり、IT犯罪に巻き込まれるリスク増加。
 逆に私と同世代の方なら「飲みニケーション」なんて言葉の信奉者もいらっしゃるのではないかと思います。
 どんなに技術が進歩し環境が変化しても、人との関わり方は最も大事にしなければならないことに変わりはありませんね。
 犬猫の話題のリクエストを頂いたK藤さん!有難うございました。しっかりリクエストお応えさせて頂きました。あれっ!?(^_^)

令和4年3月
監査担当者 山本 哲也