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スタッフ事務所通信

2024年2月掲載分

~緊張感、警戒感~

 【緊張感1】ある日曜日、朝の散歩でたまには気分転換に毎日歩くコースとは違うコースを歩こうと、いつもとは全く逆の方向に歩き出しました。いつもは限られた時間なので早足で同じコースを同じ時間にひたすら歩きます。でも、その日は時間もあるのでゆっくりといつもとは違う周りの景色を眺めながら歩いていました。住宅の反対側が畑になっているところ歩いていると、その畑の道端に「監視カメラ監視中」の看板が目に入りました。「監視カメラがどこにあるんだろう?」と見上げて周りを探しましたがカメラは見つかりませんでした。その代わりに大変珍しいものが視界に入ってきました。電柱の上にフクロウかミミズクのような鳥がとまっているではないですか!「こんなところに!」と急いて携帯のカメラで撮影しました。しばらくすると、犬の散歩をしていた見知らぬ初老の女性が通りがかりました。珍しい鳥を見て感動していた私は、女性に2、3歩歩みよって、挨拶もなしに「あれフクロウかなにかの鳥ですよね!」と電柱の上を指差しながら声をかけました。女性は私が声を発するまで数秒間、近づいてくる私に、その表情から緊張感が伝わりかなり警戒していたことがわかりました。冷静に考えれば当たり前ですね。住宅の方を不審な男が携帯のカメラで写真を撮っている。しかも急に近づいて理由のわからない話をしてくる。普通に警戒するには十分なシチュエーションですよね。それでも、状況を理解してくれた女性は少し安堵の表情を浮かべ、私が指差す電柱の上を一緒に見上げてくれて「こんなところに珍しいね。」と言ってくれました。

 【緊張感2】お客さんからの帰り道、相手方が一旦停止の交差点でパトカー私の後ろに着きました。少しの緊張感を抱きつつ、次の信号で停車し、発車の時に後ろのパトカーがいきなり赤色灯を点灯させました。ゴールドドライバーを目指している私は、何も違反行為をしていないにもかかわらず、その一瞬胸が締め付けられるようなただならぬ緊張感が走りました。しかし、サイレンはならず、ただのパトロールモードで、私は左折し、パトカーは直進していきました。

 自分が何気なくとっている行動や発する言葉が、相手にはこちらの想像以上に(想像さえしない)緊張感、警戒感を与えることがあることを改めて認識した出来事でした。どんな時も相手への思いをもった言動をしたいものですね。

 ちなみに先述したフクロウをその日の午後再び確認に行ったらまだそこにいて、よく見てみると本物のように精巧に作られた監視カメラでした!(大笑い)散歩していたオバサンごめんなさい!


令和6年2

監査担当者 山本 哲也

2024年1月掲載分

~三日坊主の先に~

 2ヶ月程前に夜寝ていた時、ふと目が覚めて、気づくと左足ふくらはぎがカチカチになっていていました。生まれて初めて足がつりました。とても痛かったのですが、その痛さもさることながら、カチカチになっているふくらはぎを自分自身ではどうすることもできないことに怖さを感じました。これまで「足がつる」ことが一度もなかったので、自分自身で手足の動きを制御できなくなるという経験が初めてで、睡眠中で意識が朦朧としていたことも重なって、悪夢じゃないかと錯覚しました。(本当に夢だったのかも…(笑))
ふくらはぎを手で抑え、痛さと怖さに耐えてじっとしていたら、そのまま眠ってしまいました。朝起きてすぐに左足のふくらはぎを揉んでみました。夜中にカチカチだったのが嘘のように柔らかくなっていて、力を入れればふくらはぎは硬くなり、力を抜けば元に戻り自分自身で制御できることに安心しました。

 昨年の10月に事務所の開業記念のイベントでお寺で座禅を体験しました。私にとっては初めての座禅でした。座禅といっても30分程度の軽いものでしたが…それでもテレビやネットで見たものから自分で勝手に作り上げた”座禅"を実際に体験することによってイメージだけの世界では得られなかった感覚を得て良い経験をさせてもらいました。

 初めて経験すること、体験することは、自分の心に怖さや緊張感、ワクワクするような楽しさ、喜びなど何かしら平常心ではいられないものをもたらしますね。
 これまでの自分に何かしらのブラスをもたらすと思います。

 「足がつる」みたいに自身の意思にかかわらず、突然初めての経験をすることもありますが、自らが意識して初めてのことを新たに始めることは、かなり労力を要しますよね?
 毎年年始のこの時期は、その労力を少しだけ軽くしてくれるいいタイミングだと思います。その結果が、実を結ぶか否かはやってみないとわかりません。
思い立ったが吉日、何かを始めたり、トライする計画を立ててみませんか?!最初から諦めて何も動かないよりも、三日坊主の方がまだいいですよね。
 三日坊主の先に新しい自分の世界が広がっているのかもしれませんから…


令和6年1月
監査担当者 山本 哲也

2023年12月掲載分

~「諸行無常」とはいえ…~

 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
この平家物語の書き出しにある「諸行無常」とはこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという意味ですね。

一昨日彼はこの世を去り、新たな世界へ旅立ちました。諸行無常とはいえあまりにも突然の訃報でした。
彼と出会ったのは彼がまだ小学生だった30年以上前。私と彼は、親子ほど年は離れていませんが、兄弟のようというには年が離れすぎという中途半端な年齢差でした。
時に私は、上から目線で彼に助言や注意をしました。彼は一度も私に反論することなく、いつもそれらの言葉を聞き入れてくれました。
少し頼りないと感じるところもありましたが、芯の強いところも有りました。
名前が示す通り朗らかで温厚な愛嬌のある憎めない人柄でした。

今、出棺の時を迎えました。
天を仰げば青空。

やり場のない感情をここに書かせて頂きました。
残された私たちは、今も“無常“を生き続けています。何を思いどう生きるのか?
今、彼が「もう少し悩みながら、頑張って生きて下さい!」と屈託のない笑顔で語っているような気がしました。初めて先輩風を吹かせながら…

合掌


令和5年12月
監査担当者 山本 哲也

2023年11月掲載分

~融通を利かそう!~

 携帯電話ショップ での出来事です。受付を済ませ順番待ちで空いていた椅子に腰掛けました。周りを見渡すと私の座った席から少し離れた席で、一人のおばあさんに店員さんが何か一生懸命説明をしていました。少し距離があったので詳細な会話は聞き取れませんでした。というか聞く気がなかったので聞こえていませんでした。
 でも、少し興味があったので、今度は視線を向けず、聞き耳だけを立てて会話に集中しました。(要するに盗み聞きですね!(笑))
  そのおばあさんは何かのアプリのパスワードを忘れてしまったか、そのアプリ自体のトラブルでなのか原因は不明ですが、そのアプリにログイン出来なくて困っているようでした。それを何とかしてもらおうと携帯電話ショップを訪れたのでした。対応していた店員は男性で、おそらく店長か、それなりの責任者に見受けられる雰囲気の人でした。口調は丁寧な方で、私に聞こえる範囲での説明もしっかりしていると思える話し方でした。
 その店員さんは、トラブルの状況を「携帯電話会社は例えるならば、家を建てる大工さんで、そのアプリは家の中にあるテレビとか冷蔵庫のようなもので、その故障に関しては大工さんが対応出来ないのと同じなんですよ。ですから、そのアプリのトラブルはそちらへお問い合わせして頂かないと…」といった感じで説明していました。
 なるほど上手い例えだなと思いましたが、ただ、おばあさんには上手く伝わらないようでした。おばあさんにとって、そんな説明はどうでもよく、求めるのは、そのアプリにログインする方法を教えて欲しい、何とか使えるようにして欲しい、その一点だけでした。ですから、その説明を聞いても、不満顔と困惑顔を浮かべ携帯を見つめ、ぶつぶついいながら途方に暮れていました。
 店員さんの説明は確かにその通りで、正論を適格に述べて、説明責任を果たしました。でも、それだけでいいのか?と誰しも疑問を抱くと思います。
 相手のおばあさんことを慮(おもんばか)り、もっと融通を利かせて、画面を一緒に見ながら再度ログインを試みたり、問合せ先の電話番号を調べてあげたり、もう一歩踏み出した、相手に寄り添った対応をしてくれたらいいのになぁと思いますよね。もちろん業務上の制限や責任問題等いろいろあるとは思いますが…
 「そんなに偉そうに言うなら、あなたが手助けしてあげたら良かったんじゃないの?!」という声が聞こえてきそうです。自分でもそう思いましたから…
 でも、携帯電話の知識は、おばあさんと同レベルしかないと思われる私は、ただの一人の傍観者に徹しました。変に期待を持たせて残念な結果に終わり、さらにおばあさんの気持ちを落ち込ませないように…
 もちろん、融通を利かせて、相手を慮っての行動です!(笑)


令和5年11月
監査担当者 山本 哲也

2023年10月掲載分

~時間を無駄にしまいとは言ったものの…~

 前回「大雨の影響で運行を見合わせている新幹線の中で、時間を無駄にせず、この原稿を書き上げました。」と書きました。
 しかし、その原稿を書き上げても新幹線は、なかなか動かず、結局5時間半も新幹線の中で缶詰になってしまいました。
 原稿を書き上げてから3時間以上缶詰になるとは想定していなかった為、“時間を無駄にせず“という表現が果たして、適切だったのかは疑問符がついてしまいました。しかし、書き上げた原稿を再び手直しすることは、それこそ時間の無駄なので、そのまま校正に提出しました。5時間半も新幹線の中に缶詰になることは“時間の無駄“のようにも思われますが、私自身はその日、貴重な体験をさせてもらったと感じています。
 少し長くなってしまいますが、その長かった一日を振り返ってみます。
その日はお盆明け直後でした。その前日は台風の影響で新幹線が運休していたとのニュースがあったので、その日の運行状況を朝一番で確認したところ、通常ダイヤで運行しているようでした。それでも、念の為にいつもより一本早い新幹線に乗りました。何事もなく定刻に発車し順調に浜松を過ぎました。「このままいくといつもより早く着くので、その旨お客さんに一報入れようかな。」と思っていた矢先、目的駅の静岡駅の一つ前の掛川駅で臨時停車。三島辺りの大雨の影響で安全確認をしていますとのことでした。「あともう15分で着くのに…でも暫くすれば動き出すでしょう。ここは雨なんて全く降っていないんだから…こんなこともあろうかと一本早い新幹線に乗って大正解!さすが私!」 と自惚れていました。(笑)
 しかし、30分経っても全く動く気配なし。この時点でお客さんのところに着く時間がいつもより遅くなってしまうことが確定し、先程の「早く着いても良いですか?」という状況から一転し、遅れてしまうことのお詫びの連絡を入れました。
 そこから、ガラガラの新幹線の中でパソコンを開き、原稿を書いたり、その日の業務でその状況でも出来ることを行いました。それでも3時間もすると、それもある程度終り、今度はいつまで「このまま缶詰状況が続くのだろう?」と不安がどんどん大きくなり始めました。水筒のお茶以外の食料はもってないし、車内販売もない…今から降車して在来線やバス、レンタカーで移動する?とも考えましたが、いずれの手段も、もっと早い段階で決断すれば良かったけれど…と結局そのまま待ち続ける選択をしました。
 暫くすると車内アナウンスで、駅のホームから離れた側の線路に停車していたもう一本の新幹線(のぞみ号)から、私が乗っているホーム側に停車しているこちらの新幹線に避難はしごを渡して、ホームへ往き来できるようにすると放送されました。その避難はしごを渡ってぞろぞろと移動する人々の様子を見ていましたが、まるでニュース報道の一場面を見ているようで貴重な光景を目の当たりにしたと少し得した気分になりました。(次葉に続く)
 それから一時間くらい経って、隣に停車していたのぞみ号が出発して行きました。さらに遅れること30分、私が乗っていたこだま号もようやく動き出しました。しかし、静岡駅の手前で再び車内アナウンスが流れました。三島付近の雨の影響がまだあり、静岡駅でまた運転を見合せるとのことでした。掛川駅停車していた数時間は雨なんて全く降ってなく、この静岡駅でも見た感じ、大した雨は降っていないのに…“線状降水帯”は限られた地域だけにかなり長い時間留まることを実感しました。
 もう一つ、ふと思いました。この駅で再び停車ということは、いつも乗る時間の新幹線ならば、まだ缶詰状態が続いていたということになり、やはり一本前の新幹線に乗ったことは意味があったと「さすが私!」とこの期に及んで自己肯定しました。(笑)
 前代未聞の大遅刻で大変な迷惑をお掛けしたお客さんのところで業務を何とか終えました。帰り際「今は新幹線、動いてるみたいですよ!良かったですね。気をつけてお帰り下さい。」と有難い言葉を頂き、私を心配して頂いていることが嬉しく、そして感謝の念を強く感じました。
 さて、駅に着くと新幹線は動いているものの、さすがにダイヤは大幅に乱れていました。駅員さんに聞いても、私が乗りたいこだま号はいつ到着するのか予測不能とのこと。その時、かなり遅れていたひかり号の到着がアナウンスされました。そのひかり号は浜松には停車するので、これに乗って浜松から東海道線で帰ることにしました。しかし、ホームは長蛇の列で大混雑。そのひかり号に乗り込めるか微妙な位置で乗車待ちの列に並びました。ホームに入ってきたひかり号の車内は満席状態。降車する人もいましたが、乗り込む人の方が断然多く、私はギリギリ乗降口付近に一番最後に乗り込みました。数十年前に毎日経験していた山手線の通勤ラッシュを思い出し、苦痛でした。でも20分ぐらいの我慢だからと耐えました。しかし、全然発車しない…新大阪駅に新幹線がいっぱいとなり、随時状況を見ながら運行とのこと。待っている間に体調が悪くなり降車する人も何人か私の前を通過していきました。私も…と揺らぐ心に耐えながら、携帯式の扇風機を回しながら耐えに耐え、一時間後ようやく動き出し、ホットし救われました。
 浜松駅で在来線に乗り換え。乗り込んだ車両の向かい合う座席には、大きな荷物を抱えた3人組の男子大学生。豊橋駅に着いたらダッシュして乗り換えるみたいな会話が聞こえてきました。おそらく青春18切符を使って旅をしていたのでしょう。豊橋に着くと3人組はダッシュして、階段をかけ上がって行きました。その走り行く後ろ姿をみて、青春してるなぁ、若いっていいなぁと自分が歳をとってしまったことを改めて実感しました。

 タイパが求められるこの時代。タイパが悪くなってしまいましたが、その日はいくつかの貴重な体験をしたのではないかと思っています。先月は時間を無駄にしまいと書きながら、今回はダラダラと過去にない長文で申し訳ありませんでした。人間万事塞翁が馬。何が正解かわかりませんね。だから生きる意味があるのかもしれません。
ちなみに“タイパ”なる言葉を最近知ったので早速使ってみました!使い方、合ってるかな?まだ、その意味をご存じない方は調べてみて下さいね。(^_^)


令和5年10月
監査担当者 山本 哲也

2023年9月掲載分

~ 働く中での“常識”とは ~

 少し前になりますが、大手自動車販売会社の不祥事が大きなニュースになりました。急成長したその会社には、厳しい ノルマがあり、そのノルマ達成のために社会常識を逸脱してしまった社内の“常識“が蔓延していたように見られます。会社を成長させたい、存続させたい、と経営者なら誰でも願うこととは思いますが、「何の為に?」という目的が著しく欠如しているように私は強く感じました。
とはいっても、そこで働いている殆んどの人は善良な社員で、その力が集結してその経営規模を構築してきたのだとも思います。
私が社会人になった最初は営業職でした。そこでは朝礼で「プロ十則」なるものを大きな声で毎朝唱和していました。
【プロ十則】
1.プロとは結果で勝負する人である。仕事にとって結果とは、どれだけの売上と利益を上げたかに尽きる。2.すぐれた結果は、的確且つ意欲的にコントロールされたプロセスからのみ生まれる。プロにとってそれは修練である。3.常に明確な目標を持とう。目標は与えられ、チェックされるものでなく、自分が立てて勝負するものである。4.燃えに燃え、たぎりたつ熱気と情熱を持とう。そこに心理的な磁場が作られ、大きな成果が生まれる。5.思い信じ込める人間となろう。それが力を生む。不信の先行は不毛の結果だけが残る。6.可能性とリスクに向かって挑戦しよう。経験への依存は盲目を意味する。7.どうすればできるかを必死になって考えよう。泣き言と言い訳は人生の汚辱である。8.自分に厳しくあろう。厳しさなくて執念なく、執念なくして、行動なく、行動なくして成果はない。9.時間を失うまい。1日、1時間、1分を、いかに活かすかが、人生の別れ道となる。10.学び続けよう。自己啓発のポイントはどがめつく吸収し、謙虚に学ぶ姿勢である。
三十数年前のバブル経済末期、栄養ドリンクのCMで「24時間働けますか!」と叫ばれて健康管理も仕事のうち「月曜日は絶対に休むなよ!」と言われていた時代で今とは“常識“の考え方も少し変化しているのかもしれません。
そんな時代に社会人生活をスタートさせた私は、良いか悪いか判りませんが、少なからずこの【プロ十則】の影響を受けています。大雨の影響で運行を見合わせている新幹線の中で“時間を失うまい”と原稿を書き上げました。
今回でvol.120。10年間一度も休むことなくこのコラムを書き続けることが出来たことに感謝します。ありがとうございました。


令和5年9月
監査担当者 山本 哲也

2023年8月掲載分

~ 何も考えない時間 ~

 暑中お見舞い申し上げます。
毎日暑い日が続きますね。人間にとっては厳しい夏の暑さも雑草にとっては強力な栄養剤のようです。この時期は取っても取っても雑草がすぐに勢力を拡大してくるので休日の度、朝の涼しい時間に草むしりを仕方なくします。心の中で文句をブツブツ言いながら草むしりを始めるのですが、そのうち何も考えず(疲れて何も考えられず)ただひたすら草むしりに没頭している自分がいます。毎朝している散歩の時も、その日の行動予定や課題事項の対応等を頭の中で色々考えたりすることもありますが、殆んど何も考えず、ただひたすら歩いています。
 意識して“何も考えない時間“を持とうとしている訳ではないのですが、気が付くと“何も考えない時間“を得ています。姿勢を正し、呼吸を整えて意識して“何も考えない時間“をつくる瞑想とはだいぶ状況は違いますが…
 “何も考えない時間“のあとで良い案や解決策がふと舞い降りてくることがあります。毎月書いているこの原稿もギリギリまで書くテーマが何も思いつかず切羽詰まった時に「このテーマで書こう」とアイデアが浮かぶのは、散歩している時かお風呂で湯船に浸かってぼっとしている時が殆んどです。
 何も考えない時間=リラックスしている時=ストレスがない時  ではないと思いますが、リラックスする時間を持つことは自律神経を整えるには効果があると言われています。自律神経は交感神経と副交感神経とからなるそうです。交感神経は緊張時や興奮時に働き、副交感神経はリラックス時に働きます。この二つのバランスが崩れると気が滅入ったり、体調も崩し易くなるそうです。あらゆるもののパフォーマンスが最もよくなる理想形は、交感神経、副交感神経の両方が高いレベルにある時だそうです。とはいっても、この二つを自分で意識して直接コントロールすることは出きるの?って感じですね。
 せっかちで小心者の私は、交感神経が活発に働いている方が多く、リラックスした時が少ないので副交感神経が働いている方が少ないのではないかと自己分析しています。なので“何も考えない時間“を持つことで少しでも副交感神経の働きをあげて自律神経のバランスを取ろうとしています。
 また、私は、早口で捲し立てるような口調が多く、話し相手の交感神経を刺激しているのではないかとも反省しています。今後は意識して極力、ゆっくり落ち着いた口調で相手をリラックスさせるような話し方をするようしたいと思います。
 あくまでも“したいと思います“ですが…(笑)


令和5年8月
監査担当者 山本 哲也

2023年7月掲載分

~ 予期せぬ出来事 ~

【予期せぬ出来事1】

 飼っている4匹の猫のうち、庭に出しても大丈夫な2匹だけを順番に抱えて外の空気を吸わせるのが毎朝の日課となっています。一匹は胴輪を付けて少し庭の中を歩かせます。先日いつものように庭の中を歩かせていると一ヶ所で執拗に臭(にお)いを嗅いで動かなくなりました。野良猫が臭いをつけたと思われる花木にしがみつくように臭いを嗅いでいて、そのうち尻尾の毛が逆立ちみるみる太くなりました。その様子を見て、私は猫を家の中に戻そうと後ろから抱き抱えようとした瞬間、後ろから襲われたと勘違いしたのか今まで聞いたことのない威嚇の鳴き声を発して、抱き抱えた私の腕を何ヵ所か噛み、爪を立てて私の腕を引っ掻き続け逃げようとしました。私もこのまま手を離せばパニックになった猫が勢いよく走り出し逃げてしまい戻って来なくなるかもしれないので引っ掻かれ続けながらも強く抱き抱えて玄関まで走りました。何とか扉を開けて家の中に猫を離しました。私の左腕からはポタポタと血が流れ、顔からは汗が滴り落ちました。左腕は自分ではよく見えない部分もありましたが見える範囲だけでもかなり痛々しく見えました。実際に左腕は動かすことが出来ないくらいの激痛でした。猫は猫で急に敵に襲われたと思いパニックになり、私もパニック状態の猫の様子に慌ててしまいました。
 猫に“平常心をいかに保つかが大切“といくら説いても無理な話しですね。(笑)


【予期せぬ出来事2】

 ある朝、散歩していると見慣れないレッドヘアお兄さんが朝帰りなのかコンビニ袋を右手でクルクル回しながら前から歩いてきました。ちょっと嫌な予感がしましたが、そのまま歩いて近づきました。すると、すれ違いざま、そのお兄さんは「おはようございます!」と爽やかな声で挨拶してきました。私も「おはようございます」と挨拶しましたが、何となく“人として負けた感“がしました。
 そして別の日に再びそのお兄さんに遭遇しました。なんと道路脇に落ちているゴミを一生懸命拾ってコンビニ袋に入れているではありませんか!朝帰りにコンビニに寄っていたのではなく、朝から一人で奉仕活動していたのでした。
 今度は私から「おはようございます!」と挨拶しました。
 この予期せぬ出来事に感動さえ覚え、誰かに伝えなければとここに書いています。
 予期せぬ出来事が起きた時、いかに平常心を保つかも大切ですが、予期せぬ出来事をきっかけに自分自身の良い行動に繋げていくかはもっと大切かもしれませんね。



令和5年7月
監査担当者 山本 哲也

2023年5月掲載分

~「五月病」の処方箋 ~

 我が家では軒下に置いてある睡蓮鉢でメダカを飼っています。もう20年以上になります。毎年温かくなるこの時期になるとメダカは元気よく泳ぎだします。冬の間ほったらかしにしていた鉢の中は藻が繁殖し水も汚くなっているため、卵を産みつける前に睡蓮鉢を綺麗に掃除して水を入れ替えるのが、この時期の私の任務のひとつです。秋の終わりに綺麗に掃除してから約半年。30匹以上いたメダカは14匹となっていました。今年は水草(ホテイアオイ)も冬を越せず、全て枯れてしまいました。それでも綺麗に澄んだ水に新しい水草を浮かべ、その中を元気に泳ぐメダカを見るとまたひとつ季節が進んだことを実感します。
 事務所では確定申告業務が終わり一区切りついて通常業務体制に戻りました。世間では卒業、入学、就職、転勤と人の動きも多くなります。それに加えて、ここ数年、コロナ禍で制限されたものも徐々に解除され、新しい季節をより実感できます。我が家でも下の子供が就職して新しい生活リズムを刻むようにもなりました。
 変化を好む、好まないに関わらず、この季節は、新しい環境に身を置いたり、環境が変化したりして、それに対応していく必要に迫られます。最初のうちは、その環境に順応しようと気を張っているので、あっという間に日が経ちます。そして、一段落するゴールデンウィーク過ぎ辺りに五月病となる人も少なからずいるようです。
 物の本によると五月病になりやすい人の特徴は、完璧主義、目標がない、人間関係を構築するのが苦手とありました。(まるで私そのもののようです!)そして、その解決策は、①ストレス発散、②コミュニケーションをとる、改善をする、③体を動かすだそうです。「う~ん そう言われても①と②は抽象的で具体策が…」となりますね。
 でも、③は具体的です。体を動かすだけなので。毎日公園を散歩していると30~40人がラジオ体操をしているのを目にします。冬場は15人~25人ぐらいだったのですが、最近めっきり増えました!環境・季節の変化が行動力を後押しているのかもしれませんね。
 私はラジオ体操の歌が流れる頃にその集団の横を通過するのですが、ラジオ体操の歌の歌詞も“五月病“の処方箋の一つかもしれません。
 ♪新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を広げ 青空仰げ♪
 朝が来るのは“当たり前“かもしれませんが、毎日やって来てくれる新しい朝を“有り難く“思い、それに感謝して希望を持って前向きに一日一日を生きよう!と歌詞は暗示しているように思えるのです。
 それを実践すれば五月病は防げるのではと思います。スマホやパソコンの画面ばかりではなく、たまには青空を仰いでみましょう!


令和5年5月
監査担当者 山本 哲也

2023年4月掲載分

~「怒り」の解消方法~

 最近、朝の通勤時に、かなりの高確率で1台の遅い車の後ろに着いてしまいます。法定速度に達しないスピードと信号のない交差点での合流のタイミングが私の感覚とかなりの差異があります。その車の後ろについてしまうと、誰かさんみたいに「チッ」と舌打ちはしませんが、正直イライラしてしまいます。大渋滞に巻き込まれた時もイライラはしますが、渋滞の原因がわからない時は、怒りの矛先が見えないので、それ以上怒ったところで仕方ないかと諦められます。
 しかし、すぐ前の車が遅いと仕方ないと思えないのは何故なんでしょうか?(人間が出来てないから!という解答はもちろん大正解です!)対象物が明確で原因が特定できるからだと思います。「あの車の運転者がもっとシャカシャカ運転してくれれば…」とか、「自分がもう1分早く家を出てあの車の前を走っていれば…」等々。怒りと後悔が入り交じったもなんとも言えない感情が残ります。いい感情か悪い感情かの二択なら、もちろん、悪い感情です。
 こんな風に良くない感情が交錯することは皆さんも、しばしば経験されているのではないでしょうか?外に対して攻撃的ならば「怒り」となり、自らが責を負う考え方ならば「後悔」となるのでしょう。そのような負の感情をしばらくの間でも、心の中に持ち続けることは、自身にとってはあまり良くないことと思います。もちろん「怒り」は大切な感情のひとつではありますが…
 誰かに愚痴をこぼすことは、その解消策のひとつかもしれません。但し、その愚痴を聞かされた人を負の感情の連鎖の中に巻き込むこともあるかもしれませんね。
 以前も書いたかもしれませんが、「怒り」は6秒経てばおさまると言われています。でも、怒り心頭の中で「6秒待つ」を実践するのはなかなか難しいですね。ならば「怒り」を覚える前に解消することが出来れば、それが一番いいんじゃないかと考えました。
 以前読んだ本に“「怒り」は「不安」の二次感情である。“と記されていました。
 つまり心の奥底にある「不安」を解消すれば「怒り」を覚えるということはない!
 と単純な私は考えました。我ながらナイスアイデア!と思いましたが、“心の奥底にある不安“ってなんだぁ?それが分かったとしても、その解消方法は?ともっと深い迷宮に入り込んでしまいました。
 結局、凡人の私は、無理に感情をコントロールせず、あるがまま、感じたままの自分の感情を出せばいいか!と帰結したのでした。☺


令和5年4月
監査担当者 山本 哲也

2023年3月掲載分

~「歳とったから」という免罪符~

 顔はわかるが名前が出てこない。何かを取りに書庫に向かったのに書庫についたら何を取りに来たのか忘れてしまう。退社時に事務所の施錠を行ったかがわからなくなり帰宅後再び事務所を訪れて施錠の確認をする。メガネを掛けているのにメガネを探す。メガネを掛けていないのにメガネをはずそうとする。ちょっとしたこともメモを取っておかないと不安になる。
 最近、記憶力の低下を感じたり、無意識で不可解な行動をとるようになった私自身の行動例です。そんな状態が続く中で自分の行動、言動が少しずつ変化していることを感じています。
 これまでは会話する時には、極力相手の話を聴いてから話すように心掛けていたつもりです。しかし、記憶力が低下しているという意識から、「忘れないうちに伝えたいことを話さないと忘れてしまう!」と相手の話を遮って話はじめてしまうようになりました。(私と話した時に自分勝手だなぁとかせっかちだなぁと感じさせてしまっていたらごめんなさい。)
 文字が読み難くなり、更に文章自体を読むのがおっくーになってきました。
 例えば、携帯電話料金や電気料金の割引サービスの広告の説明文が理解できない→読むのが面倒くさくなる→読まないといった具合です。
 更には字を書くことさえも、おっくーに感じるようなりました。ただでさえ下手くそなのに雑な書き方でミミズの這ったような字になり他人様には読めない。時には自分でも読めない…
 老人の病気自慢みたいな事象を書き連ねてしまいましたが、「そうそう!そんなこと私もあるある!」と同調して頂いた方もおられるのではないでしょうか。確かに若い時違って、歳をとったことに因って発生することはあります。
 でも、その後の対処方法は歳のためなのか?「歳とったから」という言い訳を免罪符にただ怠けてしまっているだけなのではないか?
 「歳とったから」とは別ですが「忙しい」を免罪符にやらなくなったことや雑に扱っていることはないだろうか?と自問してしまいます。
 歳をとっていてもいつも丁寧できれいな字を書く人はいます。身なりもきっちりしています。忙しくても普段と相変わらず丁寧に行わなければならないことはあります。
 最近、がさつになってしまった自身の行動言動を反省し、確定申告真っ只中のこの時期だからこそ「ひとつひとつの行動、仕草、言葉、文字を丁寧に大切に行わなければいけない」と思いをあらたにしています!


令和5年3月
監査担当者 山本 哲也