HOME > STAFF BLOG > スタッフ事務所通信

スタッフ事務所通信

Instagram


毎月スタッフより日々感じたこと体験したことを自由に掲載させて頂いています。お気軽にご覧下さい。

2023年9月掲載分

~ 働く中での“常識”とは ~

 少し前になりますが、大手自動車販売会社の不祥事が大きなニュースになりました。急成長したその会社には、厳しい ノルマがあり、そのノルマ達成のために社会常識を逸脱してしまった社内の“常識“が蔓延していたように見られます。会社を成長させたい、存続させたい、と経営者なら誰でも願うこととは思いますが、「何の為に?」という目的が著しく欠如しているように私は強く感じました。
とはいっても、そこで働いている殆んどの人は善良な社員で、その力が集結してその経営規模を構築してきたのだとも思います。
私が社会人になった最初は営業職でした。そこでは朝礼で「プロ十則」なるものを大きな声で毎朝唱和していました。
【プロ十則】
1.プロとは結果で勝負する人である。仕事にとって結果とは、どれだけの売上と利益を上げたかに尽きる。2.すぐれた結果は、的確且つ意欲的にコントロールされたプロセスからのみ生まれる。プロにとってそれは修練である。3.常に明確な目標を持とう。目標は与えられ、チェックされるものでなく、自分が立てて勝負するものである。4.燃えに燃え、たぎりたつ熱気と情熱を持とう。そこに心理的な磁場が作られ、大きな成果が生まれる。5.思い信じ込める人間となろう。それが力を生む。不信の先行は不毛の結果だけが残る。6.可能性とリスクに向かって挑戦しよう。経験への依存は盲目を意味する。7.どうすればできるかを必死になって考えよう。泣き言と言い訳は人生の汚辱である。8.自分に厳しくあろう。厳しさなくて執念なく、執念なくして、行動なく、行動なくして成果はない。9.時間を失うまい。1日、1時間、1分を、いかに活かすかが、人生の別れ道となる。10.学び続けよう。自己啓発のポイントはどがめつく吸収し、謙虚に学ぶ姿勢である。
三十数年前のバブル経済末期、栄養ドリンクのCMで「24時間働けますか!」と叫ばれて健康管理も仕事のうち「月曜日は絶対に休むなよ!」と言われていた時代で今とは“常識“の考え方も少し変化しているのかもしれません。
そんな時代に社会人生活をスタートさせた私は、良いか悪いか判りませんが、少なからずこの【プロ十則】の影響を受けています。大雨の影響で運行を見合わせている新幹線の中で“時間を失うまい”と原稿を書き上げました。
今回でvol.120。10年間一度も休むことなくこのコラムを書き続けることが出来たことに感謝します。ありがとうございました。


令和5年9月
監査担当者 山本 哲也

2023年8月掲載分

~ 何も考えない時間 ~

 暑中お見舞い申し上げます。
毎日暑い日が続きますね。人間にとっては厳しい夏の暑さも雑草にとっては強力な栄養剤のようです。この時期は取っても取っても雑草がすぐに勢力を拡大してくるので休日の度、朝の涼しい時間に草むしりを仕方なくします。心の中で文句をブツブツ言いながら草むしりを始めるのですが、そのうち何も考えず(疲れて何も考えられず)ただひたすら草むしりに没頭している自分がいます。毎朝している散歩の時も、その日の行動予定や課題事項の対応等を頭の中で色々考えたりすることもありますが、殆んど何も考えず、ただひたすら歩いています。
 意識して“何も考えない時間“を持とうとしている訳ではないのですが、気が付くと“何も考えない時間“を得ています。姿勢を正し、呼吸を整えて意識して“何も考えない時間“をつくる瞑想とはだいぶ状況は違いますが…
 “何も考えない時間“のあとで良い案や解決策がふと舞い降りてくることがあります。毎月書いているこの原稿もギリギリまで書くテーマが何も思いつかず切羽詰まった時に「このテーマで書こう」とアイデアが浮かぶのは、散歩している時かお風呂で湯船に浸かってぼっとしている時が殆んどです。
 何も考えない時間=リラックスしている時=ストレスがない時  ではないと思いますが、リラックスする時間を持つことは自律神経を整えるには効果があると言われています。自律神経は交感神経と副交感神経とからなるそうです。交感神経は緊張時や興奮時に働き、副交感神経はリラックス時に働きます。この二つのバランスが崩れると気が滅入ったり、体調も崩し易くなるそうです。あらゆるもののパフォーマンスが最もよくなる理想形は、交感神経、副交感神経の両方が高いレベルにある時だそうです。とはいっても、この二つを自分で意識して直接コントロールすることは出きるの?って感じですね。
 せっかちで小心者の私は、交感神経が活発に働いている方が多く、リラックスした時が少ないので副交感神経が働いている方が少ないのではないかと自己分析しています。なので“何も考えない時間“を持つことで少しでも副交感神経の働きをあげて自律神経のバランスを取ろうとしています。
 また、私は、早口で捲し立てるような口調が多く、話し相手の交感神経を刺激しているのではないかとも反省しています。今後は意識して極力、ゆっくり落ち着いた口調で相手をリラックスさせるような話し方をするようしたいと思います。
 あくまでも“したいと思います“ですが…(笑)


令和5年8月
監査担当者 山本 哲也

2023年7月掲載分

~ 予期せぬ出来事 ~

【予期せぬ出来事1】

 飼っている4匹の猫のうち、庭に出しても大丈夫な2匹だけを順番に抱えて外の空気を吸わせるのが毎朝の日課となっています。一匹は胴輪を付けて少し庭の中を歩かせます。先日いつものように庭の中を歩かせていると一ヶ所で執拗に臭(にお)いを嗅いで動かなくなりました。野良猫が臭いをつけたと思われる花木にしがみつくように臭いを嗅いでいて、そのうち尻尾の毛が逆立ちみるみる太くなりました。その様子を見て、私は猫を家の中に戻そうと後ろから抱き抱えようとした瞬間、後ろから襲われたと勘違いしたのか今まで聞いたことのない威嚇の鳴き声を発して、抱き抱えた私の腕を何ヵ所か噛み、爪を立てて私の腕を引っ掻き続け逃げようとしました。私もこのまま手を離せばパニックになった猫が勢いよく走り出し逃げてしまい戻って来なくなるかもしれないので引っ掻かれ続けながらも強く抱き抱えて玄関まで走りました。何とか扉を開けて家の中に猫を離しました。私の左腕からはポタポタと血が流れ、顔からは汗が滴り落ちました。左腕は自分ではよく見えない部分もありましたが見える範囲だけでもかなり痛々しく見えました。実際に左腕は動かすことが出来ないくらいの激痛でした。猫は猫で急に敵に襲われたと思いパニックになり、私もパニック状態の猫の様子に慌ててしまいました。
 猫に“平常心をいかに保つかが大切“といくら説いても無理な話しですね。(笑)


【予期せぬ出来事2】

 ある朝、散歩していると見慣れないレッドヘアお兄さんが朝帰りなのかコンビニ袋を右手でクルクル回しながら前から歩いてきました。ちょっと嫌な予感がしましたが、そのまま歩いて近づきました。すると、すれ違いざま、そのお兄さんは「おはようございます!」と爽やかな声で挨拶してきました。私も「おはようございます」と挨拶しましたが、何となく“人として負けた感“がしました。
 そして別の日に再びそのお兄さんに遭遇しました。なんと道路脇に落ちているゴミを一生懸命拾ってコンビニ袋に入れているではありませんか!朝帰りにコンビニに寄っていたのではなく、朝から一人で奉仕活動していたのでした。
 今度は私から「おはようございます!」と挨拶しました。
 この予期せぬ出来事に感動さえ覚え、誰かに伝えなければとここに書いています。
 予期せぬ出来事が起きた時、いかに平常心を保つかも大切ですが、予期せぬ出来事をきっかけに自分自身の良い行動に繋げていくかはもっと大切かもしれませんね。



令和5年7月
監査担当者 山本 哲也

2023年5月掲載分

~「五月病」の処方箋 ~

 我が家では軒下に置いてある睡蓮鉢でメダカを飼っています。もう20年以上になります。毎年温かくなるこの時期になるとメダカは元気よく泳ぎだします。冬の間ほったらかしにしていた鉢の中は藻が繁殖し水も汚くなっているため、卵を産みつける前に睡蓮鉢を綺麗に掃除して水を入れ替えるのが、この時期の私の任務のひとつです。秋の終わりに綺麗に掃除してから約半年。30匹以上いたメダカは14匹となっていました。今年は水草(ホテイアオイ)も冬を越せず、全て枯れてしまいました。それでも綺麗に澄んだ水に新しい水草を浮かべ、その中を元気に泳ぐメダカを見るとまたひとつ季節が進んだことを実感します。
 事務所では確定申告業務が終わり一区切りついて通常業務体制に戻りました。世間では卒業、入学、就職、転勤と人の動きも多くなります。それに加えて、ここ数年、コロナ禍で制限されたものも徐々に解除され、新しい季節をより実感できます。我が家でも下の子供が就職して新しい生活リズムを刻むようにもなりました。
 変化を好む、好まないに関わらず、この季節は、新しい環境に身を置いたり、環境が変化したりして、それに対応していく必要に迫られます。最初のうちは、その環境に順応しようと気を張っているので、あっという間に日が経ちます。そして、一段落するゴールデンウィーク過ぎ辺りに五月病となる人も少なからずいるようです。
 物の本によると五月病になりやすい人の特徴は、完璧主義、目標がない、人間関係を構築するのが苦手とありました。(まるで私そのもののようです!)そして、その解決策は、①ストレス発散、②コミュニケーションをとる、改善をする、③体を動かすだそうです。「う~ん そう言われても①と②は抽象的で具体策が…」となりますね。
 でも、③は具体的です。体を動かすだけなので。毎日公園を散歩していると30~40人がラジオ体操をしているのを目にします。冬場は15人~25人ぐらいだったのですが、最近めっきり増えました!環境・季節の変化が行動力を後押しているのかもしれませんね。
 私はラジオ体操の歌が流れる頃にその集団の横を通過するのですが、ラジオ体操の歌の歌詞も“五月病“の処方箋の一つかもしれません。
 ♪新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を広げ 青空仰げ♪
 朝が来るのは“当たり前“かもしれませんが、毎日やって来てくれる新しい朝を“有り難く“思い、それに感謝して希望を持って前向きに一日一日を生きよう!と歌詞は暗示しているように思えるのです。
 それを実践すれば五月病は防げるのではと思います。スマホやパソコンの画面ばかりではなく、たまには青空を仰いでみましょう!


令和5年5月
監査担当者 山本 哲也

2023年4月掲載分

~「怒り」の解消方法~

 最近、朝の通勤時に、かなりの高確率で1台の遅い車の後ろに着いてしまいます。法定速度に達しないスピードと信号のない交差点での合流のタイミングが私の感覚とかなりの差異があります。その車の後ろについてしまうと、誰かさんみたいに「チッ」と舌打ちはしませんが、正直イライラしてしまいます。大渋滞に巻き込まれた時もイライラはしますが、渋滞の原因がわからない時は、怒りの矛先が見えないので、それ以上怒ったところで仕方ないかと諦められます。
 しかし、すぐ前の車が遅いと仕方ないと思えないのは何故なんでしょうか?(人間が出来てないから!という解答はもちろん大正解です!)対象物が明確で原因が特定できるからだと思います。「あの車の運転者がもっとシャカシャカ運転してくれれば…」とか、「自分がもう1分早く家を出てあの車の前を走っていれば…」等々。怒りと後悔が入り交じったもなんとも言えない感情が残ります。いい感情か悪い感情かの二択なら、もちろん、悪い感情です。
 こんな風に良くない感情が交錯することは皆さんも、しばしば経験されているのではないでしょうか?外に対して攻撃的ならば「怒り」となり、自らが責を負う考え方ならば「後悔」となるのでしょう。そのような負の感情をしばらくの間でも、心の中に持ち続けることは、自身にとってはあまり良くないことと思います。もちろん「怒り」は大切な感情のひとつではありますが…
 誰かに愚痴をこぼすことは、その解消策のひとつかもしれません。但し、その愚痴を聞かされた人を負の感情の連鎖の中に巻き込むこともあるかもしれませんね。
 以前も書いたかもしれませんが、「怒り」は6秒経てばおさまると言われています。でも、怒り心頭の中で「6秒待つ」を実践するのはなかなか難しいですね。ならば「怒り」を覚える前に解消することが出来れば、それが一番いいんじゃないかと考えました。
 以前読んだ本に“「怒り」は「不安」の二次感情である。“と記されていました。
 つまり心の奥底にある「不安」を解消すれば「怒り」を覚えるということはない!
 と単純な私は考えました。我ながらナイスアイデア!と思いましたが、“心の奥底にある不安“ってなんだぁ?それが分かったとしても、その解消方法は?ともっと深い迷宮に入り込んでしまいました。
 結局、凡人の私は、無理に感情をコントロールせず、あるがまま、感じたままの自分の感情を出せばいいか!と帰結したのでした。☺


令和5年4月
監査担当者 山本 哲也

2023年3月掲載分

~「歳とったから」という免罪符~

 顔はわかるが名前が出てこない。何かを取りに書庫に向かったのに書庫についたら何を取りに来たのか忘れてしまう。退社時に事務所の施錠を行ったかがわからなくなり帰宅後再び事務所を訪れて施錠の確認をする。メガネを掛けているのにメガネを探す。メガネを掛けていないのにメガネをはずそうとする。ちょっとしたこともメモを取っておかないと不安になる。
 最近、記憶力の低下を感じたり、無意識で不可解な行動をとるようになった私自身の行動例です。そんな状態が続く中で自分の行動、言動が少しずつ変化していることを感じています。
 これまでは会話する時には、極力相手の話を聴いてから話すように心掛けていたつもりです。しかし、記憶力が低下しているという意識から、「忘れないうちに伝えたいことを話さないと忘れてしまう!」と相手の話を遮って話はじめてしまうようになりました。(私と話した時に自分勝手だなぁとかせっかちだなぁと感じさせてしまっていたらごめんなさい。)
 文字が読み難くなり、更に文章自体を読むのがおっくーになってきました。
 例えば、携帯電話料金や電気料金の割引サービスの広告の説明文が理解できない→読むのが面倒くさくなる→読まないといった具合です。
 更には字を書くことさえも、おっくーに感じるようなりました。ただでさえ下手くそなのに雑な書き方でミミズの這ったような字になり他人様には読めない。時には自分でも読めない…
 老人の病気自慢みたいな事象を書き連ねてしまいましたが、「そうそう!そんなこと私もあるある!」と同調して頂いた方もおられるのではないでしょうか。確かに若い時違って、歳をとったことに因って発生することはあります。
 でも、その後の対処方法は歳のためなのか?「歳とったから」という言い訳を免罪符にただ怠けてしまっているだけなのではないか?
 「歳とったから」とは別ですが「忙しい」を免罪符にやらなくなったことや雑に扱っていることはないだろうか?と自問してしまいます。
 歳をとっていてもいつも丁寧できれいな字を書く人はいます。身なりもきっちりしています。忙しくても普段と相変わらず丁寧に行わなければならないことはあります。
 最近、がさつになってしまった自身の行動言動を反省し、確定申告真っ只中のこの時期だからこそ「ひとつひとつの行動、仕草、言葉、文字を丁寧に大切に行わなければいけない」と思いをあらたにしています!


令和5年3月
監査担当者 山本 哲也

2023年2月掲載分

~人間万事塞翁が馬~

 年が明けてすぐのこの時期は、日の出時刻が一年で最も遅いので、朝の散歩で歩き始める時は、まだ暗く、歩いている途中で日が昇ります。日によっては大変綺麗な朝焼けを見ることもできます。
 “春はあけぼの“の書き出しで始まる清少納言の『枕草子』では、“冬はつとめて“(早朝)…が趣きがあるといっています。けれど私は冬も“あけぼの“が趣きがあると思います。“あけぼの“は夏も秋もいいですね。(税理士法人も“あけぼの“(^_^))

 日の出が見られればと、何の根拠もなく、その日一日がいい日になるような気がします。それが綺麗な朝焼けとなればなおさらですね。
 この時期から寒さはピークを迎えるので寒がりにはもう少し我慢の日々が続きますが、日の出時間が少しずつ早くなったり、日脚がだんだん長くなるとなんだか気持ちが軽くなっていくような気がします。もうすぐ春が来る、もう少し我慢すれば暖かくなってくるということを先んじて実感するからでしょうか。

 “人間万事塞翁が馬“という故事成語があります。「一見、不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりすることのたとえ。幸運か不運かは容易に判断しがたいということ。」と辞書にはその意味が書かれています。
 これまでの自分の主観で物事の善悪、幸運か不幸かを判断せずに「人間万事塞翁が馬」的に考えれば、これまでと違う価値観が得られるかもしれませんね。
 「冬は寒くて嫌だなぁ。」「確定申告業務で忙しい日々が続くのが大変だなぁ。」と私は冬にあまり良いイメージを抱くことができませんでした。でも、寒い冬があるからこそ、暖かな春の兆しを嬉しく感じさせてくれる。忙しい確定申告業務があるということは、有り難く仕事をさせてもらえる。難しく煩雑な業務に直面し苦労するということは、自らの業務水準や人間性を成長、レベルアップさせてくれる。そんな風に置き換えていくことができるのでしょう。
 悪い面や、嫌なことだけをみるのではなく、良い面がないかと考え方、見方を変えれば、厳しい環境の中に小さな希望の光を見つけることができ、その厳しさも乗り越えて行けるのかもしれません。
 逆に良いことが起きた時、そしてその状況がしばらく続いたとしても、浮かれることなく、悪い状況に備える必要性もあるのだと思います。
 コロナ禍、景気動向、政治情勢、環境問題、人間関係、…だんだん悪くなること、逆にだんだん良くなること様々ですが、もし考え方一つで、自らの弱った心、落ち込んだ気持ちを介抱したい時、逆にお調子者となって浮かれている自分を戒める時には、「人間万事塞翁が馬」と呪文のように口ずさむのもいいかもしれませんね。



令和5年2月
監査担当者 山本 哲也

2023年1月掲載分

~一年の計は元旦にあり~

 最近、本を一冊読みきるのが、なかなか億劫に感じるようになってきてしまいました。そんな中、本屋で書籍を選んでいると星新一さんの本がちょうど目に留まり、「短編集なら、空き時間に読んでもキリよいところまですぐ読める!このショートショートでも読もう。」と一冊購入しました。空いた時間で読みながら数日で読み終えました。短編集だから読みやすいということもありますが、文章自体が分かりやすく、前に戻って読み返して理解するという作業を殆んどしなくていい文章構成というのが、星新一さんが大作家たる所以かもしれません。

 後書きにある解説に星さんのこんな言葉が引用されていました 「一つの発想を得るためだけに八時間も書斎に閉じこもる 」世の中に1000編を超えるストーリーを提供した人でも構想を出すのに大変苦労したのですね。しかし、そのあとに「この峠を越せばあとはそれほどでもない」と続いています。無から有を創り出す、静から動へ移行させる、そこが最も力を要するということで、一旦動き出せばそこからは割りと順調に物事は進んで行くのだということですね。
これは如何なる事象にもあてはまる普遍的な法則なのかもしれません。

 人生設計、イベントの企画、仕事の段取り、晩御飯の献立…大きなことから小さなことまで、一生かけて行う重大事や毎日行う日常的な事柄。あらゆる事象を私たちは頭の中で思い描き、イメージし、行動に移しています。イメージした直後に苦もなく行動に移せることもあれば、イメージしてもなかなか行動に移せないもの、イメージすら出来ないもの…色々あります。何もイメージせずに成り行きに任せるということもできます。
 私の人生経験においては、“イメージなしの成り行き任せ“にして、“棚ぼた式“に成果を得たものは皆無です。そんな考え方で行ったものは、記憶の片隅にも残っていない無為な事象となってしまっています。

 「棚からぼた餅」の反意語として「果報は寝て待て」があります。
「イメージなしの成り行き任せ」ではなく「イメージありの成り行き任せ」でもなく「イメージありの行動あり」の先に「果報は寝て待て」があるのではと思います。
“一年の計は元旦にあり”といつもこの時期は思います。今年の私のテーマは
「何事にもイメージありの行動ありであたる」で頑張りたいと思います!

(抽象的なテーマで三日坊主になりそう…(^_^))


令和5年1月
監査担当者 山本 哲也

2022年12月掲載分

~心の傷を癒すには?~

 先日うちで飼っている五匹の猫のうちの一匹が突然死んでしまいました。まだ五歳。歳の順番でいったら下から二番目で、まだその母猫は元気にしています。気が強いのに臆病者で一番手のかかる猫でした。手のかかる=費やした時間が多く、その分だけ思い入れが深かったことと、歳老いている訳でもなく「突然」であったことで、悲しみ、喪失感があり、心へのダメージは大きなものでした。「たかが猫ぐらいで…」とか「五匹いるうちの一匹でしょ?」と思う人もいるかもしれませんが、心に受けるダメージは人それぞれで違うものですから…

 心にダメージを負っても、傷口から血が出る訳でもないので表面的には分かりにくいと思います。でも確実にダメージを受けます。みなさんも経験があるかと思いますが、近しい人との死別、突然の別れ、交通事故、業務上の失敗、人間関係の悩み…等々。心にダメージを受ける原因は無数にあり、その傷の深さもまちまちだと思います。
そんな心の傷、ダメージをみなさんはどう治療しますか?
病院に行くという選択肢は余程のことがない限りありませんね。
私の心はダイヤモンドなので傷つくことなんてない!っていう人もいませんよね?
 他人に話してその思いを共有してもらう。感情のままに泣きわめく。大声で叫ぶ。ひたすら食べたり飲んだりする。三年前、愛犬が亡くなった時、私は山に登りました。
 いずれにしても、即効薬は無いのではないかと思います。

その事実を忘れ去るのではなく、冷静に受け止める。そして、目の前の日常を日々頑張って過ごす。そのうちに“時“がその傷口を埋めてくれたり、他の何かが心を埋めてくれて、自然治癒していくのではないかと思います。
 でも、しばらくすると折角、癒えた心を再び傷つけるような出来事が降りかかってくるのです。
 生きて行くのはその繰り返しで、命あるかぎり続いて行くのだと思います。
 今に感謝し、自らのできることを粛々と行い、たまには深呼吸して気を休める。
 それが私の導きだした対処療法です。
 深呼吸がため息とならないように気をつけながら…


令和4年12月
監査担当者 山本 哲也

2022年11月掲載分

~何かを捨てる・何かをやめる!~

 今年は(も?)衣替えの10月1日まで暑さが終息しませんでしたね。それまでノーネクタイだったので、その日ネクタイを締めようと、しばらく見ていなかったネクタイ掛けから一本取り出しました。その時「何本もあるけどよく見ると全くしないのもあるなぁ」と思い、次の休みの日に整理することにしました。していないネクタイだけれど何となくこれまで捨てられなかったものがかなりありました。「これは気に入ってよく締めていたけど少し擦り切れてしまってダメだなぁ。」「これは新品に近いけど殆んど締めることがないなぁ…」一本一本に思いを馳せてしまっていたので、これまで捨てられなかったのでした。「これではダメだ!」と思いきって10本ほど捨てました。
 「勿体ないお化け」を怖れて育った私は、今、流行りの断捨離とは真逆の「勿体ない精神」、「モノへの思い入れ」を強く持った性分かもしれません。
 仕事で使う筆箱の中には4、5センチ程に短くなった赤色鉛筆に金属製のキャップを着けたものが入っています。机の引き出しには、ちぎれた消ゴムが数個。30年使い続けている数字の見えなくなった定規。入所当時から使っていたファスナーの壊れた筆入れも小物入れとして業務鞄の中に。こう書き出してみると我が事ながら、あまりよい表現ではないですが「貧乏性」とか「しみったれ」だなぁと他人様から思われても仕方ないと感じます。

 前々回「不安を解消させるには、自分を変化させることが必要であり、その為に何か新しい物事を始め、行動することが大事」といった内容を紹介させて頂きました。
 「同じコップで新しい飲み物を飲むには、まずは今入っているものを飲み干さないといけない」なんて例え話を聞くこともあります。
 何かを新しく始めるためには何かを捨てたり、何かをやめなければなりませんね。
 今まで、当たり前にしてきたことでも「これ意味があるのかなぁ?」と思うことありませんか?「前任者からの引き継ぎ事項」「上司が言うので仕方ない」等々が壁となりなかなか改善できないことって意外に多くあるのかもしれません。一歩踏み出してトライしてみると思わぬ効果が得られるかもしれませんね。
 私はというと、とりあえず、机の引き出しにあった、ちぎれた消ゴムを前の席の人にあげました。(^_^)
 決してパワハラとかではなく、本当に必要としていた人にあげた消しゴムがたまたまいくつかにちぎれてしまっていただけですので誤解なきようお願いします!


令和4年11月
監査担当者 山本 哲也

2022年10月掲載分

~「待つこと」を楽しむゆとりを持ちましょう!~ 

最近は「待つ」ということが少なくなってきましたね。インターネット、携帯電話、通信販売、宅配便、コンビニエンスストア、予約サイト等々の普及、発達により私たちの生活環境は変化し、「待つ」ことから徐々に解放されてきました。便利さを享受し、快適な生活を送ることができるようになりました。

『時は金なり』という格言から、「時間を無駄にすること」は“悪いこと“と解釈されていますね。「時間を無駄にすること」=「待つこと」ならば、この便利さを享受できる環境の変化は◎ですね。

また「待つ」ことは「我慢する」ことに近い感覚もあるように思います。便利になり待つことが少なくなった今日でも、行列のできる飲食店、3ヶ月待ちのお取り寄せグルメ、1年待ちの宿泊施設、熱伝導のいいフライパン等々の人気のあるものを手に入れる為に「待つこと」ついては、「仕方ないこと」と自らを納得させるのではないでしょうか。

いずれも、「待つこと」=「悪」、「待つこと」=「仕方ないこと」と「待つこと」自体には負のイメージがある印象です。

話は少し変わりますが、「子供の頃の遠足の前の夜はうれしくてなかなか眠れなかった」なんてことをよく聞きますね。(本当にそうだったかどうかは別にして…)これは眠ることよりも、次の日の遠足ことを頭の中であれこれと想像して、ワクワクして楽しくなって、なかなか眠れないということですね。

似たような話で、宝くじを買った人が抽選日までの時間で、もし●億円当たったら、あれを買って、これも買って、ここに行って、そこにも行って…等々色々思いを巡らして楽しんで、いざ抽選日を迎えると項垂(うなだ)れ、現実に引き戻される。なんてこともよく言われますね。

遠足の前の夜…、宝くじ…、この二つは目的物を「待つ」というよりも「待つこと」自体を楽しんでいる、「待つこと」≒「楽しみ」というように思われます。

「待つこと」に対して負のイメージを感じるのではなく「楽しみ」を感じられれば心豊かな人生を過ごせそうですね。

私事ですが、2ヶ月程前に、実に15年振りの車の買い換えを決断し注文しました。昨今の半導体不足等の影響で噂通り数ヶ月待ちと伝えられ、未だに納車に至っておりません。今のところ「待つこと」=「悪」、「仕方ないこと」ではなく、待つことを「楽しみ」ながら過ごしています。けれど、目安として提示された納車予定日を過ぎたとしたら、その心持ちも変わって、クレーマーになってしまうかもしれません。(笑)

心豊かに生きるには自分自身の感情のコントロールが大切ですね!

令和4年10月
監査担当者 山本 哲也