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「田分け」で財産が消滅
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税理士法人あけぼの
(旧:白柳経営会計事務所)

TKC全国会会員です
TKC全国会
TKC全国会は、租税正義の実現をめざし関与先企業の永続的繁栄に奉仕するわが国最大級の職業会計人集団です。
東海税理士会所属

スタッフ事務所通信

毎月スタッフより日々感じたこと体験したことを自由に掲載させて頂いています。お気軽にご覧下さい。

スタッフ事務所通信

2019年7月掲載分

~相手のことを慮る大切さ~(おもんぱかる・おもんばかる)

【金融機関にて打合せ】
 先日、顧問先からの依頼で金融機関に行きました。その金融機関の前任の担当者が転勤した為、引継ぎ事項の確認、説明を行いました。
 転勤した前任者は、その会社と役員親族の資産状況、収入状況から資金繰りを提案するなど、その会社のことをよく知っていました。その会社に関与して間もなかった私にとって、その前任者との面談は新しい顧問先の状況を知る上で大変参考になりました。
 しかし、新担当者に面談してみると、その会社の融資状況以外の情報をその新担当者が殆ど知らないことに驚きました。
 その新担当者の言葉によると、引継ぎは紙面によるものだけだったらしく、新担当者はその会社情報収集を一から始めることに近いものであるかのように私には感じられました。金融機関の転勤は突然で、担当件数も多いのでこのような状況もやむを得ないかもしれません。

【ホテルのイベント打ち合わせ】
 前述の金融機関に行ったすぐあと、その足でホテルのイベント開催の打合せに行きました。私がイベントの担当になったのも数年振りで、当然ホテルの担当者も代わっていました。初対面でしたが、電話で事前に概要を話していた事、それから過去のイベント開催の資料を準備してくれていて、それに基づいて打合せした為にスムーズに進みました。打合せしている時にこちらの事を理解しようとする姿勢が感じられ好感が持てました。仕事として当然といえば当然かもしれませんが、その「相手のことを知る、慮る」という基本的なことはとても大切だと改めて感じました。

 金融機関の新担当者も、社長と面談し、会社の施設にも足を運び状況確認し、一生懸命に情報収集をしていました。前任者からの情報の伝達が不十分であった為、効率が悪い情報収集方法になってしまいましたが、「相手のことを知る」という姿勢はありました。しかし、相手ともっと良好な関係を築きたいのなら、やはり事前に自行内の前任者ともっと打合せし、情報収集してから、相手と対話すべきだったのではないかと私は思います。
 ただ「相手のことを知る」だけでなく「相手を慮る」ことが大切だというこの教訓を忘れずに今後に活かしていきたいと思います。


令和元年7月

監査担当者 山本 哲也

2019年6月掲載分

~トラブルのもとを長く置かない~ 

 先日こんな相談がありました。隣の人が駐車場を舗装した際、施工業者の不手際で地境を僅かに越えてこちらの敷地内に入ってしまった。その施工業者から越境したのはほんの僅かなので、このまま使用させて欲しい、ついては覚書に署名して欲しいと。その覚書についての相談でした。その内容の詳細については割愛しますが、まず、意識しないといけないことは、土地に関するトラブルは現状だけで判断しないという点です。土地は通常長期にわたり保有使用するものです。その間に環境は変化します。所有者が代わったり、使用者が代わったり、隣地に新しく建物ができたり、道が通ったり…現状では僅かそれぐらいと思えることでも、何かある都度その僅かなことに常に意識を払わなければならなくなります。また実際にその僅かなことが大きなデメリットになる可能性もあるわけです。長くストレスを抱え続けることになります。ですから、現況において“僅かこれくらい”と思えることでもきっちり対応しておくことが大切です。 

 そんなその相談を受けたこと読んでいた城山三郎 の著書の中にも偶然同じようなエピソードがありました。「A家は、B家の奥にB家から土地を分けてもらった。その時、B家の庭先を私道として使わせてもらうという約束であった。年が経ち、B家ではそれを約束した当主が死に、息子も早死にして、孫の代となった。A家の主は老人になったが健在で、相変わらずB家の庭先を当然のこととして通る。隣人同士のいくつかの小さなもつれもあって、B家の当主はA老人に対してあまり良い感情を持たなくなる。自分の家の庭先を当然のこととして、わがもの顔に通られることに、我慢できなくなる。「いつも済みませんが」ぐらい、たまには言ったらどうだ、と。これに対してA老人は昂然としている。先々代と約束済みだし、絶対の権利なのだ、と腹に据えかねたB家の若当主は、ついに垣根をつくってA老人を通さぬようにした。…」

 お互いの主張がぶつかり裁判などで法的な結論が出たとしても、お互いの感情のもつれは修復困難なものとなります。近隣の人、親子、兄弟でこのようなトラブルが起きたら大変です。自らの理屈の正当性を主張することにこだわりすぎて、大切ものを失わないように、俯瞰的、長期的な視点も忘れずに物事を判断することが必要ですね。


令和元年6月

監査担当者 山本 哲也

~精神の自立~

 私が最近読んだ本の中に「精神の自立」という言葉がありました。この言葉はどういうことかというと自分自身の価値を自分自身で決定するということです。他人から認められるという事ではなく自分で自分の存在や価値を決定するのです。「自立」という言葉を辞書で引くと「ほかの援助を受けず、衣食住について自分の力や意志で行動する主体性を重くみること」とあります。いわゆる経済的に自立するということです。この意味の「自立」は一般的に多くの人が使用していると思います。では、「精神の自立」という意味での「自立」はどうでしょうか。胸を張って「私は自立している」と言えるでしょうか。世の中はどうしても他人と自分を比べて見るようにできています。例えば、学校のテストでは点数や学年順位という形で誰が見ても全体と比べて自分の優劣がわかります。自分はダメなんだ、という劣等感を抱いてしまう人もいるでしょう。その意識を抱いたまま年齢を重ねてしまうと自信を得ることができず、周りの目を気にして生活をするようになるかもしれません。人は他人からの承認を常に欲しています。この承認欲求が自立を阻み、他人への依存の道へ誘うのです。私がもっとも響いた言葉は「人と違うことに価値を置かず、ごく普通の私であることに価値を置きなさい」です。このように考えることができた時、初めて自立できたといえると私は感じました。

 数年前から「バイトテロ」という言葉がありますが、今まではどうしてあのようなことをしてしまうのかわかりませんでした。しかし、今回読んだ本で出てきた「精神の自立」の意味を知ったとき、そして、人は人と違うことに価値を置いてしまっているということを知り、「自分は周りとは違うんだ」ということを知ってもらうために行ったんだと解釈しました。「精神の自立」は大人でもできていない人はいます。私が学生時代にアルバイトをしていたチェーン店のうどん屋では従業員の50代のおじさんが別の飲食店の店長に私が働いていたうどんチェーン店のうどんの作り方のマニュアルを見せて教えていて解雇されました。そのおじさんは常々「ほかの人間ではダメだ、俺がいないと店が回らない」と言っており、他人と比べて自分は特別だと思っている節があり、社員さんも強くそのおじさんに物事を言わないので自分はなにをしても許されるという感覚があったように思います。

 「精神の自立」は容易なことでないですが、これからの人生をよいものにしていくためにも精神の自立はしているといえるようにしたいと思います。


令和元年6月

監査担当者 杉浦 翔太

2019年5月掲載分

~光あるところに影あり~

 先日ミュージカルを観に行きました。初めてミュージカルを観に行くという事で楽しみと上映中寝ないか心配の面がありましたが、終始楽しく観ることができました。テレビドラマと違って舞台の配置が目の前で変わっていくこと、舞台演出がとてもスムーズに変わっていくことに驚きました。舞台セットの奥行きを使ったり幅を広げたり狭めたりすることで場面に合うようにすること、タイミングを間違えずに舞台セットを出すこと、どれもが自然でとても練習を重ねていることが伝わりました。

 ミュージカルを生で観たことで「光あるところに影あり」という言葉が思い浮かびました。演者がとても輝いて見えましたし、自分が輝くために練習を積んできたことも伝わりましたが、演者をさらに輝かせるために舞台上ではないところで奮闘している人がいることを生で観たからこそ感じました。ミュージカルを成立させるために舞台セットをその世界観に合わせる、歌いだしのタイミング、曲のテンポ、歌詞などどれか一つが合わないとミュージカルは成立しないことも感じました。だからこそ、私は演者以上にこのミュージカルを成立させるために観客からは見えない人たちである演者の演技指導をした人、監督、音楽などの裏でミュージカルを支えている人がすごいと感じました。彼らは舞台が終わった後の挨拶には出てこず、設定集にも顔は出さずこの作品に関する考えや思い、伝えたいことが載っていました。決して、表には出てこず演者を輝かせて作品を完成させることがかっこいいと思いました。

 以前、阪神園芸の方がニュースに取り上げられたとき、なにかあったときのために常にグラウンド整備の準備はしているし、ニュースに取り上げてもらうようなことはしていない、いつもしていることをしているだけというような記事を見ました。自分たちが輝くことはないけれど、自分たちの下地の上で輝く人がいるというのが仕事のやりがいがあるのかなと当時は思っていましたが、今回ミュージカルを観て、自分たちの作品を一緒に作り上げている感覚、成功した時の喜び、お客さんからの拍手など一人では味わえないものがあることもやりがいとしてあるのかなと感じました。

 今の生活は便利ですが、私たちが便利と感じられる下地には苦労をしている方たちがいるのでその方たちに感謝をしている人たちがどれだけいるのだろうという疑問も持ちました。感謝の意というのは日々の生活の中で出していける部分もあると思うので態度や言葉遣いなど相手に伝えられるところで伝えていこうと思います。


令和元年5月

監査担当者 杉浦 翔太

~「定額サービス」は是?非?~

 最近、「定額」「定額制」のサービスが流行っていますね。
 ワイシャツのレンタル&クリーニング、絵画の交換レンタルサービス、印刷し放題の定額プリンター、定額制のマイカー、コーヒーやラーメンの飲み放題、食べ放題の月額制etc.…
 色々なビジネスプランを考える人がいるものだと感心しています。
 私も携帯電話の料金プラン、インターネットの利用料としっかり「定額サービス」を利用しています。いつの間にか色々な「定額サービス」が日常生活に浸透してきました。それは最終消費者の私たちにとって“お得なもの”メリットがあるものと認識されているからですね。でも、果たして本当に“お得”なのでしょうか?…

 例えば、食べ放題の飲食店に行くと食べ過ぎてしまったり、自分の好みの食材でなくても、原価の高いものを多く食べる人がいるそうです。これは「元を取らなくては!」との心理が働くからで、おいしく食事を頂くことではなく、金銭的な“お得”を優先してしまうのですね。なんとなく本末転倒していますね。

 この春から我が家の長男が自動車学校に通うこととなりました。最近は少子化で自動車学校も生徒獲得に苦慮しているみたいです。今回も、3年前の長女の時も、どこから名簿が流れているのか戸別訪問して営業していました。今回はキャンペーン中ということで定額制料金プランを勧められ、そのまま申込みました。通常は所定の教習回数で進級できず、余計に教習回数が増しただけ料金がかかりますが、定額制は何回乗っても料金は変わらないというプランで“お得なもの”です。
 上の子供の時は、2,3回余分に乗り、別途料金が発生したので、それを思えば確かに“お得”なのかもしれません。しかし、子供の次の言葉を聞いてこの定額プランは是???と思ってしまいました。「何回失敗しても大丈夫だね!」心理的にゆとりが出来て良いと言えば良いのですが、私には「そんなに真剣にやらなくても大丈夫だね。」と聞こえてしまいました。(^_^) 1回1回真剣に取り組まなくても良いという心の隙間を与えてしまったのではないか?1回落ちれば出費は痛いが、次は是が非でも頑張ろうという向上心は育めるのではと思います。

 金銭的な面だけでなく、「心」でも“お得”を感じられるよう「定額制」を利用したいですね。新元号「令和」にも込められたように美しく心を寄せ合いたいものです。


令和元年5月

監査担当者 山本 哲也

2019年4月掲載分

~旅のススメ~

「若い男は旅に出ろ」
 最近そんな話を聞きました。私が最後に旅をしたのは(そんな大層なものではないですが…)22、3歳ぐらいの時が最後でしょうか。青春18切符を使い、豊橋から博多まで往復5日かけて電車の旅をしました。10年以上前のことですが今でもそれを人に話したり、その時の出来事が少なからず今の自分を構成しているような貴重な体験でした。

 旅行の目的は行けるうちに行っておこうとかそんな理由でした。旅の目的地は青春18切符の期限内で戻ってこられる場所で、なにより博多の焼き鳥(キャベツと柚胡椒がついてる!)がどうしても食べたくてそこにしました。
宿は安く済ますため宿はユースホステルを利用し、1日の多くを電車の中で過ごしていることがほとんどでした。20歳を越えた成人の私ですが、基本的には大の「ビビり」なので、1人でやることは全てドキドキします。観光で立ち寄ったのは広島の原爆ドームと巌流島ぐらいですが、どちらも路面電車やフェリーを使うのでそれすら緊張します。目的の博多に到着し、美味しそうな焼き鳥屋を見つけても、そもそも普通のチェーン店にも1人で入ったことない自分が簡単に知らない土地の居酒屋に入れるはずもありません。意を決して店に入りビールを胃に入れたら多少気が大きくなり、その後はしっかり博多ラーメン食べてホテルに戻りましたが笑
 山口のユースホステルでは、1人で淋しく?泊まっていた私を、オーナーが自宅へ招待してくださり、ホテルで晩ご飯を食べたのにまた晩ご飯を出してくれ、色々気を遣ってくれました。緊張しながらも一人で行動したことや、人の優しさに触れたこと、どれも本当にささいなことですが間違いなく今の私を作っています。今の私がまた同じ所に行けば違った目線で見れますし、感じることも違います。でもそれもまたその後の自分を変える要素になるはずです。「かわいい子には旅をさせよ」「獅子の子落とし」などありますが、年齢は関係なく、その時々で感じることは違うのでいつ行動しても良いと思います。是非新しい自分を作りに旅へ出ませんか!
 私自身もレベルアップの為に次は1人で海外へ!と思いますが想像するだけでビビっているのでもうちょっと先になるかも…。

平成31年4月

監査担当者 白柳 幾太朗

~「ルーティン」を持つと良いことある?!~

【私のルーティン】
 「ルーティン」とは、決まった手続きや手順、動作や、日常の仕事、日課という意味ですね。
 私がここ数年、毎日欠かさずしている三つのルーティンがあります。
 ① 朝起きたらコップ一杯の水素水を飲むこと。
 ② 毎朝散歩をした後に体重を測定し、それをカレンダーにメモすること。
 ③ 毎日一万歩以上を歩くことです。
 三つとも当初は健康面、身体的なダイエット効果を期待して始めました。 何年経ってもダイエット効果は全くありません。(^_^)しかし、病気で寝込むことはないので健康面では効果があるのだと思います。 

【やり続けることが自信につながる】
 以前読んだ本に、何でもいいから何かをやること、やり続けることが自信につながると書かれていました。
 『何もしないで自信を持とうとしても、それは無理な話で、自信というのは何かをやった後の結果として出てくるものである。自信があるから何かをやるのではなく、何かをやるから自信がついてくるものである。』
 スポーツでも、良い選手は勝つために、どんな苦しさや困難にも耐え、それを克服する努力をする。むしろ苦しみに耐えることに喜びや満足感を持っているそうです。私も確定申告業務で帰りが23:30になってしまい、歩数計を見ると7000歩…
 あと30分で3000歩、 一生懸命その場で足踏みし23:53に10000歩を超えました。
 自分でも「何やっているんだろう」と思いつつ、人から見ればこのくだらないルーティンを是が非でも達成しようした自分に愛おしさを感じました。(^_^)

【五郎丸選手】
 スポーツ、ルーティンと言えば以前、ラグビーの五郎丸選手がキックをする前にするポーズが話題となりました。あのお祈りするようなポーズがメンタル面の支えになっていたそうです。
 私も、ルーティンは心理的にも何かしらの効果が必ずあると思っています。その思いから、10年以上前から子供に毎日日めくり(カレンダー)をめくることを日課とさせました。たったそれだけのことなのですが、例え子供であっても何らかの役割を与えることが、その存在価値を認めることでもあるとも思います。例え簡単なことでも、ずっと続けていくことは大切な事だと私は信じています。

平成31年4月

監査担当者 山本 哲也

~初めまして、監査担当の西川 健一と申します。~

 昨年の9月に入社しましたので、遅ればせながらではありますが自己紹介をさせていただきます。豊橋市出身で年齢は44歳です。前職は接客サービス業でしたので、現在は仕事内容に戸惑いながらも日々奮闘しております。今回この事務所通信という場で自己紹介をする機会をいただきましたので、私の趣味についてお話してみようと思います。

 趣味は「料理」を作ることです。一口に料理といっても日常のものから手の込んだものまで色々あるわけですが、どんなものを作るにしても心がけていることが一つあります。それは「食材を無駄にしないこと」です。

 食事する際に感謝を忘れないためというのももちろんですが、何よりおいしくいただけるものを処分してしますのは勿体ないですよね。出汁がらの昆布を佃煮にしてみたり、捨ててしまいがちな葉物野菜の芯の部分を和え物や漬物にしてみたり、ブロッコリーの芯の部分なども甘みがあっておいしく食べられます。味付けはどうしても自分好みにしてしまいますが、調味料はひととおり揃えたうえでレシピ・分量はあまり気にしない「ザ・男の料理」といったスタイルなのですが、案外失敗なく出来上がるから不思議なものです。

 会計事務所の業務に限らず仕事では十分な準備・細やかな心配りといった、私の料理にも付け加えるべき要素が要求されます。業務では「無駄にしない」意識は持ちつつも細やかさも同時に意識していけたらと思っています。


平成31年4月

監査担当者 西川 健一

2019年3月掲載分

~冬来たりなば春遠からじ~

【冬鬱】
 冬ももう終わりに近づいているこの時期に、少し遅いテーマになるかもしれませんが、「冬鬱」と呼ばれる鬱症状があるそうです。 毎年、日照時間が短くなる10月から11月にかけて症状があらわれはじめ、日差しが長くなる3月頃になると回復するというサイクルを繰り返し、その症状から「ウインターブルー」とも言われています。 日照量不足が原因で、一般的なうつ病と違うのは、過食・眠気といった症状があらわれやすいことです。人類の祖先が冬に備えて栄養を蓄え、静かに過ごす準備をしたことや、それよりずっと以前の進化過程にあった冬眠習性の名残だそうです。

【繁忙期】
 私たちは、大変有り難いことに毎年1月から3月にかけて多くの仕事を頂き忙しい日々を送っています。(^_^)やる気満々でこの繁忙期に突入していくのですが、後半を迎える2月中旬から3月にかけては、さすがに心身ともお疲れモードとなってしまいます。(冬鬱とは少し違いますが…)
 でも「こんな時こそ元気を出していかないと!」と毎日自ら鼓舞しています。このように前向きに考えるきっかけとなるエピソードが有りました。 

【整体の先生の一言】
 随分前に私は腰を悪くして整体に通っていました。症状が重くなかなか改善しなかったので、そこの整体の先生の師匠が東京からたまたま豊橋に来るので診てもらうことになりました。
 その師匠先生は私に施術をしながら、私が学生時代どんなスポーツをしていたのか、どんな仕事をしてどういう生活をしているのか等々質問し、施術以外に私の生活習慣から注意すべきこと、腰痛を予防する方法を話してくれました。
 そして、人の傷んだところを施術するには心でも身体も、自分自身が健康でないとならない、自分の元気で人の治療するぐらいの気概でいるとおっしゃっていました。さらに人から相談を受け、人の悩みを聴き、相談相手となるようなことを仕事とする人は、相手の悩みを吸収しても大丈夫なようにいつも元気でないといけないとのアドバイスも頂きました。
 その時以来、自分が人に元気を与えられるだろうか?と自問自答しながらやってきました。まだまだ十分ではないと思いますが、少しぐらい辛くへこたれそうになっても、「冬来たりなば春遠からじ」という言葉を胸に、春が必ず来ることを信じ、毎日を懸念に積み重ね、元気を出していきたいと思います。


平成31年3月

監査担当者 山本 哲也

2019年2月掲載分

~「専門家」って凄い!「保険」って有り難い!~

【困った!スマホが故障…】
 昨年末に急にスマートフォンがWi-Fiは使えるのに通話が出来なくなってしまいました。何度も電源を入れ直したり、インターネットで調べた対応策をいくつか試してみましたが全く直りませんでした。

 仕方なく翌日、営業時間終了間際のギリギリに携帯電話ショップに駆け込みました。故障の状況とこれまで私が試みた対応策を一通り店員に説明しました。若い男性店員でしたが私が説明したことをすっかり信用したのか、早く帰りたかったのか(^_^)わからないですが、あれこれと自らで試すこと無く「これでダメなら基板が故障しているので機器取替となります。」と言いながらいきなり新しいICカードにその場で取り替えてくれました。
 素早いその対応に、私が店員なら自分で少しは動作状況の確認をしてから部品を取り替えるのに…、閉店間際でよっぽど面倒に感じてるのか?と少し疑心を感じましたが、目の前で部品を新品にしてもらったので気分はさほど悪くありませんでした。
 そもそも、そのスマホは買ってから4年経過し、そろそろ買い換えの時期を迎えていたので、買い換えも仕方ないかと思っていました。
 期待半分諦め半分で電源を入れ直して通話を試みましたが、結局通話出来ませんでした。「仕方ない買い換えか…」と思った瞬間、その店員さんはパソコンのキーを叩きながら「お客様はスマホにトラブルがあった時の保険に加入されていますので同じ機種の機器に交換が可能です。」と言いました。そんな保険に入っていた意識もないし、そもそも4年も前の機種が在庫にあるの?と思いましたが、私自身スマホをバリバリ使いこなし新機種でないとダメだと言う人間ではないので、それが可能ならそうして欲しいと伝えました。すると店員さんは素早く在庫確認し、翌日自宅に届けてくれる手配をしてくれました。「翌日って間に合う?もう19時近いのに…」と内心思いましたが、私が店舗から出る時も丁寧な見送りで気分良く帰宅の途につきました。
 翌日、朝10時過ぎに宅急便が届きました。凄く早い!専門家(組織)って凄い!保険って有り難い!と強く感じました。
 日本語としては正しい表記ではないですが、対応してくれた店員様は私の中で「若い店員」→「店員」→「店員さん」→「店員様」と出世魚のように変化していきました。(^_^)

 世の中には生命保険、自動車保険等の様々な保険がありますが、皆さんはご自分が加入している保険がどんなものか知っていますか?保険の内容を確認し必要な見直しはとても大切です。その備えが万が一の時、保険って「有り難い!」となります。

平成31年2月

監査担当者 山本 哲也

2019年1月掲載分

~過ぎたるは猶及ばざるが如し!~

【第34回経営研究会】
 毎年恒例となっている当事務所の経営研究会を今年も12月4日に無事開催することが出来ました。多くの皆様にご参加頂きまして誠に有り難うございました。
 今回は医学博士の石原結實先生をお招きし、健康、がん治療、食生活等に関する大変有り難いお話を時にユーモアをまじえながら楽しく聴くことが出来きました。お話をお聴きして、有り難い情報を収集しても、それを実践しないと意味がありませんね。私は講演を聴き印象に残った内容から、食べ物は私たちの体内に入るものなので、注意しなければいけないこと、腹八分目を意識して食べ過ぎないこと、適度な運動を行い十分な睡眠をとること実践して、健康維持に努めたいと思いました。特に最近“食べ過ぎ”と“働き過ぎ(?)”の傾向にあるので「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と意識して、何事も「適当」となるよう善処したいと思います。

【閉会の挨拶】
 経営研究会の後の「望年会」で私は、閉会の挨拶をさせて頂きました。折角の機会なので、何をお話させて頂こうかと前日にあれこれ考えて、3分間程度の内容にまとめました。しかし、実際には時間は少し超過してしまい、事務所内外から「長かった」とのご指摘を頂きました。「長かった」と感じさせてしまうのは内容がイマイチで、私の中では、炎天下の小学校の朝礼で児童がバタバタと倒れていく、校長先生の長い講話と同じか…と反省しました。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」(何事も程ほどが肝心で、やり過ぎることはやり足りないことと同じように良いこととは言えない)
「次の機会があればシンプルに短く話そうか」…とも思いましたが、「イヤイヤそれでは誰がやっても同じでつまらない。「長かった」と感じさせてしまったのは、話し方や内容がダメだったからで、長く感じさせないような話し方、内容にして次こそ頑張らないと」と考えを改めました。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と自重しないといけないこともありますが半面消極的な考えに陥ってしまうこともあります。その対義語ではないですが「大は小を兼ねる」大胆に積極的に考えないといけない時もありますね。「中庸」「臨機応変」の考えも取り入れて、自分自身が自分を俯瞰的に見て、適切な考え方、行動をとっていける、そんな思いをここに書きたいと思いますので、本年も宜しくお願い致します。

平成31年1月

監査担当者 山本 哲也

2018年12月掲載分

~当たり前の有り難さに感謝!~

【台風で停電】
 10月1日の台風で被害に遭われた方も大勢いらっしゃったと思います。我が家では隣家の壁板が落下し車に当たり車が少し傷ついた程度の被害で済みました。それよりも“困った”と思ったのが停電でした。電灯がないので暗い、冷蔵庫のものは大丈夫?ガスは使えるが、給湯器、炊飯器が使えない、携帯電話の充電が出来ない、固定電話には非常用の電源がついていたが光電話に変えたので、その機能は全く無意味であることが判明…、一方、外では信号機が点いていないので渋滞、事故も多発、マンション、アパートでは電気だけでなくポンプが稼働しない為、断水まで発生し、トイレもままならない…
 スーパーでは冷蔵・冷凍庫が機能せず廃棄品がかなり発生。
 たった一日でしたが生活は大混乱でした。そう感じた方は私以外にもいらっしゃったと思います。

【事務所のパソコンLANの障害発生】
 最近、事務所のパソコンLANに障害が発生し、サーバーとのやりとりやインターネットの利用が出来なくなりました。日常業務の殆どをパソコンで行っているので業務が全く行えません。電卓と紙と鉛筆だけで会計業務、申告業務を行うことは、もはや不可能になってしまいました。今は調べ物をするのも殆どインターネットで行えますが、インターネットが使えない状態になると昔はどうやって調べていたのだろう??とその調べる方法さえも判らなくなってしまっています。

【奥さんが入院!お弁当ってどう作るの?】
 先日うちの妻が3日ほど入院しました。私は一人暮らしの経験もあるので、家事は一通りこなせると思っていました。しかし、家事の一部を手伝うことは多少あっても、家事の一切を一人で行うことはないので、大変困りました。子供のお弁当を作るにしても何をどう作る?弁当箱はどこにある?…洗濯も、犬猫の世話もしないと…時間がない!とりあえずお惣菜を買ってきて、おにぎり握って弁当箱に詰めてお終い。
 ドタバタしながらなんとか過ごしました。

 「当たり前、当然」の反対語は有り難いといわれることがありますが、「当たり前、当然」というものは全く存在せず、全て有り難いものであるなぁと今回感じました。
 「当たり前、当然」と思ったり、感じたりするのは、きっと自分自身に“有り難い”という感謝の念が足りないということなんですね。

平成30年12月

監査担当者 山本 哲也

2018年11月掲載分

~日々の研鑽が実を結ぶ!?~

【慌ただしかったある朝の出来事】
 新幹線に乗って出張する朝、家を出る予定時刻の15分ぐらい前。「しまった!」事務所に忘れ物をしたことに気づいた。今から事務所に忘れ物を取りに行くと乗る予定の新幹線には間に合わないかも…でも、どうしても今日必要なものなので、事務所に忘れ物を取りに寄り、急いで駅へ向かった。途中踏切のせいで混雑する信号でかなりのタイムロス。安全運転且つ効率の良い(?)運転で駅前に着いたのは乗る予定の新幹線が豊橋に到着したのとほぼ同時刻。後は通過列車待ちのアディショナルタイムとの競争。乗車券を買って猛ダッシュ。普段は絶対にしないエスカレーターの右側を駈け上がり、自動改札に。降りて来た人と交錯しながら今度は階段を駆け降りる。最寄りの乗車口に滑り込む。ギリギリセーフ。この間約5分。重たい鞄を肩に担いで走りきった。

【日々の研鑽が思わぬところで役に立つ?!】
 何ヵ月か前の自分なら走る前に諦めて次の新幹線に乗ることを選択していたでしょう。3,4ヶ月前から朝の散歩を週のうち2日ぐらいはコースの半分を走ることにしていました。それはある社長さんから「ただ歩いているだけでは効果がないよ。早足で歩くとか少し負荷をかける運動も織り混ぜないと!」とのアドバイスを実行したからでした。最初は100m位しか走れませんでしたが徐々に走れるようになり、最近は1500m位は走れるようになりました。「たったそれだけか?!」と思われる人もあるかもしれませんが20歳の頃と比べ体重が15キロ近く増加した50歳過ぎの躯にはこれぐらいが調度いいのです!現にその甲斐あって新幹線にも間に合ったのですから… いずれにしても、この研鑽(?)が今回役に立ちました。

【日々の研鑽に見合った仕事が舞い降りる?】
 今回の私の場合は笑い話でしかありませんが、そんな中にも日々の研鑽は大切だと実感させられました。研修会や勉強会に参加したり、技能実習を行ったり、人と情報交換をしたりすることは、すぐに直接業務に活かすことは稀かもしれません。しかし、このような日々の研鑽を積み上げなければ自らのレベルアップはありません。そしてレベルアップして準備した人のところに必ずそれ相当の仕事が舞い降りて来るのだと私は信じています。
 もし「こんなつまらない仕事するの?」と現状の仕事に満足できないなら日々の研鑽が足りないのだと自らを反省し、「こんな難しい大変な仕事が来た!」と感じたら日々の研鑽の賜物なので、感謝してチャレンジするようにしたいですね。

平成30年11月

監査担当者 山本 哲也

2018年10月掲載分

~ダメだなぁと思った瞬間~

 8月の終わりに研修会に参加する為、東京に行きました。本当に久しぶりの東京だったので時間に余裕を持って行きました。研修は午後1時からだったので、少し早めに昼食をとりました。事前の調べで研修会場は新宿駅より徒歩10分だったので余裕で間に合うはずでした。

【ダメだなぁと思った瞬間その1】
 会場の場所の下調べ無しでも研修案内に載っていた概略地図と携帯電話だけでなんとかなると思っていたら、地下道から出た瞬間にここはどこだ?と迷子(?)になってしまいました。事前準備を怠った私は“全然ダメだなぁ”でした。

【その2】現在地を示す案内看板があったので、それを見ながら現在位置を確認していました。すると後ろから「Excuse me?」と外国人の年老いた男性が私に声をかけてきました。普段英語を使うことなど皆無の私はとっさに「I’m sorry…」と言ってにっこり。次の言葉「I can speak English a little」を発したのと同時に「△□*#…?」と質問されてしまいました。とりあえず聞き取れたのは「South」という単語だけ。私は空を見上げ太陽の位置を確認して、南の方角を指さし笑顔で「South!」と答えると老人も笑顔で「South!Thank you!」と言って私の指さした方向へ歩いて行きました。老人が私の言ったことに従って南へ向かったのか、こいつに聞いてもダメだと思ってとりあえず歩き出したのかは判りませんが、私の対応は“全然ダメだなぁ”でした。

【その3】自分も先を急がねば。携帯電話のナビ機能を駆使して研修会場に向かいました。研修開始30分前にようやく辿り着きました。しかし会場受付で違和感が…。研修名が違う!会場の名称を誤入力。よく似た名称の違う会場でした。住所や電話番号で入力すれば良かった…。“全然ダメだなぁ”

【その4】再度会場名称を入力し、ナビ開始。徒歩10分と表示。ギリギリだ。念の為通りかかった警察署の警官に道順を確認。警官も携帯を取り出して確認し出す。「しまった!それなら私と同じじゃん」と思ったが、案の定、明確な案内は受けられず。ロスタイム。徒歩10分「目的地付近です。」とナビの案内。どこ?目の前のコンビニに入り、店員に「●●ビルってどこですか?」と尋ねると「聞いたことあるけど、どこだったかなぁ…」大変混雑する時間だったので迷惑そう。仕方なく「有り難う」と言って外へ。交差点を挟んで斜向かいにあるじゃん!いくら何でも知らないか?と思ったが小さなビルの名前なんていちいち覚えないか。相手の忙しさを顧みずその対応を悪いと非難する私の感情は“全然ダメだなぁ”

 かくして、なんだかんだありながらも開始10分前に研修会場の受付完了。

 ダメだなぁと思えば次々とダメなことが起ったように感じます。でも結果としては無事に有意義な研修を受けて帰ってこられました。しかも楽しいエピソード付きで。

 事実・現象は一つですが、本人の受け取り方・感じ方で良くも悪くもとれますね。

平成30年10月

監査担当者 山本 哲也

2018年9月掲載分

~二つの「死」に思うこと~

 重たいテーマですが、最近私の周りにあった二つの「死」について感じたことを今回書かせて頂きます。

 1ヶ月ほど前、私の伯父が亡くなりました。90歳でした。亡くなるときは、病院から知らせを受けた家族が到着したのち30分もしないうちに皆の到着を待っていたかのように見守られ、苦しまずに最期を迎えました。いわゆる大往生でした。通夜、葬儀、火葬…悲しさや寂しさはありますが、これまでご苦労様でした、安らかにお眠り下さいという気持ちがしっくりくる「穏やかな死」と感じられるものでした。

 それから2週間ほど後のことです。テレビで新城の豊川で若い男性が水難事故で亡くなるニュースが流れていました。その時は「まだ若いのに可哀想だなぁ」と私は通り一遍の感情を抱いただけでした。しばらく後に娘が帰宅し、携帯電話のネットニュースの画面をかざしながら「お父さんこの記事見た?お父さんも知ってる人だよね。」と言ってきました。私は「??」でしたが、娘は続けて「お祖母さんちの前の○○さんとこの子だよ。」それでも私は「??」でした。さらに続けて「お父さんが朝散歩してる時に自転車に乗ってすれ違う時に挨拶してくれるって言っていた子だよ。」とそこまで聞いてようやく判りました。朝散歩している時にすれ違うと必ず笑顔と明るい声で「おはようございます。」と言ってくれたイガグリ頭の高校生(当時)でした。
今年から社会人になっていたそうです。「あの元気な高校生が…」
 自分の子供と同世代の子が不慮の事故で亡くなるなんて、その親御さんの気持ちを推し量るといたたまれない気持ちになりました。おそらく朝は元気に家を出ていき、帰ってくるのが当たり前の日常からはこのようなことが起こるとは想像だにしなかったことでしょう。
 この二つの「死」は、私の心に相反する想いを抱かせました。伯父の死は、「このように自分も最期を迎えたいな」という穏やかな想いで、若い子の死は、「こんなに早く、しかも突然に亡くなって欲しくない!」やりきれない想いです。

 これまで、数々の経営者の方とお会いしてきましたが、病気療養の末、亡くなられた方は数多くおられました。突然亡くなられた方も何人かおられます。しかし、残された人は悲しみの中でも、毎日を歩き続けねばなりません。例え、やりきれない想いを抱いたとしても、自らが出来ることを黙々と行い「今日を精一杯生きる」ことが亡くなった方への一番の供養かもしれませんね。

平成30年9月

監査担当者 山本 哲也

2018年8月掲載分

~その確認作業は誰のため?~

 先日、スーパーでセルフレジを利用しました。ピッ、ピッと快調にレジを済ませていましたが、ノンアルコールビールをバーコードリーダーにかざした時、レジがエラーになりました。年齢確認の為に店員さんを呼ばなければなりませんでした。その時私は「ノンアルコールビールってお酒なの!?」「それ以前にどう見ても私は20歳以上じゃん!!」と思ってしまいましたが、冷静に考えればセルフレジはそもそもそのようなシステムなので「仕方がないかぁ。」と納得しました。温厚な(?)私でさえも少しだけ(^_^)イラッとしてしまったので、血の気の多い人の対応はさぞかし大変ではないかと思ってしまいました。

 数日後ネットの記事を何気なく見ていると、40代の男性がコンビニでお酒を買おうとして「20歳以上です」のパネルを押して下さいと店員に言われ、そのことに立腹してそのパネルを壊してしまったという記事を見つけました。コンビニの立場からすれば、未成年者への酒類やたばこの販売の防止対策を義務づけられ、その対応策として業務マニュアルを作り、それに対応するレジシステムまで導入して、実際に未成年者への販売がないようにと、面倒でも全ての人に同様の対応を行っていただけなのにひどい仕打ちです。別に顧客を怒らせようと意地悪をしているのではなく、ただ粛々と社会責任を果たしているだけだったのでしょう。

 しかし、「責任を果たす」という使命感だけでは十分ではなく、それと同時に相手を思う感情とか相手を信じる心が備わっていないとクレームへ発展してしまう可能性があるのではないかと私は思っています。

 「確認義務・確認責任」について私自身が今なお忘れられない嫌な出来事があります。20年以上前、長女が生まれる時の話です。大変な難産で破水して丸一日近く経っても出産できない状態でした。総合病院で、その日は運悪く経験の浅い若い医師しかおらず判断が遅れました。その後呼び出されたベテランの医師の判断で急遽帝王切開手術を行うことになりました。その時にその若手医師は手術の同意書を意識が朦朧としている妻に書かせようとしました。そんな状況の妻にサインさせるのではなく私が代わりにサインすると申し出ましたが「決まりなのでご本人のサインを」と結局、妻にサインさせました。その時の私たちにとって、その同意書の本人のサインは全く意味がないもので、それよりも他に大切なことがあっただろうという思いが今も消えません。

 今の社会においては「確認義務・確認責任」は必要な部分もあります。しかし、私は、年齢確認なんてなく、たばこのお使いを頼まれた子供がその釣り銭をお小遣いにもらえた時代の方が相手を思う感情も、相手を信じる心も社会全体に満ちていて、良かったなぁと思っています。ノスタルジックな思いを馳せるのは年をとった証拠?!

平成30年8月

監査担当者 山本 哲也