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税理士法人あけぼの
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東海税理士会所属

スタッフ事務所通信

毎月スタッフより日々感じたこと体験したことを自由に掲載させて頂いています。お気軽にご覧下さい。

写真:スタッフ事務所通信

2021年8月掲載分

~健康診断にて(その1)~

先日毎年恒例の健康診断を受けました。私が健康診断の中で最も嫌な検査はバリウムを飲んで行う胃の検査です。バリウムを飲む事と発泡剤を飲んでゲップを我慢する事がどうにも苦手です。今回も最後の検査がその検査でした。
我慢してバリウムと発泡剤を飲み、台の上で体をゴロゴロと回転させてようやく終わったと思ったら、検査官が「胃がしぼんでしまったのでもう一回飲んで下さい。」ってまさかの一言!
嫌なこと、面倒なことが“やっと終わった…“と思った瞬間に再びやらなければならなくなった時のショックは皆さんにも共感して頂けると思います。  

税理士事務所が携わる業務で皆さんに関係し、「やらなければならないこと」「嫌なこと」と言えば、国民の三大義務の一つである『納税』があります。(「嫌なこと」との表現は語弊がありますかね。)(*^-^)
「確定申告」は嫌だけどやらなければならない事の最たるものだと思います。自ら申告をして納税する。申告をするという“手間“をかけて、更に手元にある現預金を“取られてしまう“という感覚になってしまいますね。
ある人は「踏んだり蹴ったりだ!」と少し乱暴な表現をされることもありました。
この「嫌なこと」を後からしなければならないという難しさを緩和(?)する対策として「源泉徴収」という制度があります。給与所得者はこの「源泉徴収」により毎月の給与から先に所得税、住民税、社会保険料を控除され、差引額を受取ります。
この制度に慣れると後から税金等を納付することがないので「取られる」という感覚は感じなくなります。年末には「確定申告」の代わりに「年末調整」を行い、大半の人が確定申告も行う必要がなくなります。おまけに「年末調整」を行うと通常は所得税が還付となるように月々の徴収税額が設定されているので年末に“還付金”が入ります。確定申告し納税する人と年間に負担する税金が仮に同額であったとしても、先に徴収されているか、後から納付しなければならないかは、心理的には随分違うのではないでしょうか?! この「源泉徴収」は、納税者の心理状況を察し、しかも徴収漏れも防ぐ効果があり大変、理に叶った制度だと感心してしまいます。 

もう少し経つと税務署より「扶養是正」の通知が会社に届く時期となります。源泉徴収されている給与所得者も、扶養控除対象としていた奥さんやお子さんの前年の所得金額が多く「扶養是正」となると所得税を追加徴収され、私がバリウムを飲んでゲップし、「オエッ!」となるよりも、はるかに大きなダメージの「オエッ!」となってしまいます。年末に向けて、奥様、年頃のお子さんと会話して所得の状況を確認しましょう。税金の為にいうより、本当は家族で対話すること自体の方が大切ですね!

令和3年8月

監査担当者 山本 哲也

2021年7月掲載分

~今を一生懸命生きる!~

小学生の頃、夏休みの宿題をやりながら、テレビで高校野球見ていました。小学生の私は、高校野球もプロ野球と変わらないぐらいの高いレベルに感じていました。 
高校生になって、自分と同世代が甲子園に出るようになりました。いつしか、自分より年下の高校生が甲子園でプレイするようになりました。大人になった私は「やはりプロ野球とは違いまだまだだなぁ。」と偉そうに思うようになりました。 

社会人となり自分の父親と同年代の社長や重役と話をするようになりました。会計事務所に入った頃、銀行の支店長や生命保険会社の支店長は皆、年上でした。 少し背伸びしないと対等に話が出来ないと思い、毎日気負っていました。 

結婚して子供が生まれ、子供の小学校の担任先生が自分より年下となりました。学校の先生が年下と思うと少し違和感がありました。 
子供の頃、歌謡曲を歌っていると父親が全然曲の意味がわからないと言っていました。しかし今、子供にこの曲も知らないのと笑われるようになりました。その時かつての父親の気持ちが何となくわかるようになりました。 

自分の子供と同世代の高校生が甲子園で活躍し、今はもうプロの選手となっています。銀行や保険会社の支店長は皆、自分より年下になってしまいました。 

自分の意識レベルはほとんど成長せず変わっていないのに歳だけを重ねてしまったと感じることもありますが、実はその時々に感じる感覚を上書きしながら、日々成長変化したのだと後から気づくこともあります。 

先月、大学時代の四年間共同生活をしていた6人の内の一人の友人が、突然の病気で亡くなりました。まだ53歳でした。 
自分が漠然と「こんな風になるんだろうなぁ」と思い描く人生の流れが、突然、絶たれることもあるのだと痛切に感じました。 

これから先をどう生きるかを考えることも大切だけど、今を一生懸命生きることはもっと大切なのかもしれない…と思うようになりました。

令和3年7月

監査担当者 山本 哲也

2021年6月掲載分

~計測した結果のその先にあるものは?~

 私の日課として毎日一万歩、歩くことがあります。歩数は自動的にスマートフォンに記録されます。それに加えて毎日体重を計測し記録しています。朝散歩から帰った後と夜お風呂から出た後の二回体重を量っています。最近は、体温も毎日計るようになりました。 
 計る、測定するということには色々な目的や意味があると思います。 
 歩数は、累積の結果ですので目標の一万歩に達するまでの指標となります。その日の終わりまで減ることはありません。但し、翌日はまた0から積み上げることとなります。毎日継続して目標を達成する為の指標です。 
 体重は一時点での数字です。ボクシングなどの体重別に階級のあるスポーツは試合前の計量日の計量時間のただ一点に照準を合わせて厳しい減量を行いますね。計量にパスすれば、そこから試合前にいくら食べて体重が増加しても関係ありません。最高のパフォーマンスの為に、すぐにエネルギーとなる食事をしますね。 
 ダイエットはどうでしょう?これも数字的にただ一点を目標に取り組む人が多いのではないでしょうか?60キロとか45キロとか…一時点でも目標設定した体重を下回れば「ダイエット成功!」となりますね。 
 私は体重に関しては何かを目指して測定している訳ではありませんが、測定してみると朝と夜では体重は変化し、食前、食後、お風呂に入る前、入った後という短い時間でもかなり変化することに気づかされました。今はその変化する体重差から、食べ過ぎた、水分を採りすぎた、よく運動して汗をかいた等その日の行動を省みています。

 世の中には色々な指標となる数字、数値が溢れています。 
子供ならテストの点数や徒競走の順位、そろばんや習字の段、ゲームの点数。最近の若者ならばSNSの「いいね」の数。私のような中高年は健康診断の数値、住宅ローンの残額、老後に備えての貯蓄額。企業なら決算書の利益金額、自己資本率、創業からの年数。等々。それらの数字、数値を目標として達成したか達成していないかをある一時点あるいは一点だけの計測結果で一喜一憂しています。 
 では数字的な目標の先に何があるのでしょうか? 
 健康 、子孫(家系)の繁栄 、企業の継続 、世界の平和、地球環境を守る… 
計測結果だけにとらわれず、その先にあるものを見据えて、その計測結果をどう捉え、どう分析し、そして次にどう行動するか、が大切なことだと思います。そのきっかけが計測・測定であると思います。 
 と偉そうなことを言っても、やっぱり体重計に乗って、体重が減っていたらうれしいものですね。(笑)

令和3年6月

監査担当者 山本 哲也

2021年5月掲載分

~『二念を継がない、継がせない』~

 休日に車を運転していた時のことです。23号線バイパスに合流しようとするとたまたまアメリカンタイプのバイクに乗った4台の集団の前で合流しました。少し混んでいたため十分に加速できずその集団の走行スピードを緩めるような合流となってしまいました。 
その集団はちょっといかつい感じだったので後ろから煽られたりしないかなと「心配」しました。バックミラーで確認すると4台のうち1台が蛇行するような走りをしていました。「やっぱり煽ってきたか!」と思いましたが、よく観察してみると私の車を煽る風でもなく、ただスピードが遅くなった手持ち無沙汰から何となく蛇行走行しているようでした。それの様子をみて私の気持ちは「安心」しました。 
 しばらくするとその蛇行して走っていたバイクの運転者が対向車線を走ってきたバイクに手を振っていました。たまたま知った人にすれ違ったため、手を振ったのかなと思いました。注意しながらバックミラー越しに観察していると対抗車線を走ってくるバイクに何回か手を振っていました。山登りをしてすれ違う人に「こんにちは」と挨拶するような感じで、何となく「好感」が持てました。
 相手の行動は私の感情とはとは全く関係なくあったと思います。ただその行動を私の頭の中で勝手に想像してイメージを作り出し、その勝手に想像して作り出したものに、私の感情が「心配」→「安心」→「好感」と右往左往しているのでした。
 禅の言葉で、『二念を継がない』というものがあります。これは目の前で起こったことを、ありのままにとらえる」という意味で、『一念(最初に湧いてきた思考)』の後に『二念(自分の主観的な意見や解釈)』をつけない、という内容だそうです。
自分自身が不安に感じることや心配事があり時は、この『二念を継がない』という言葉を思い出し、思考の負のスパイラルから抜け出そうと試みます。(凡人なのでそれがなかなか難しいですが…)
  逆の立場から考えると相手に『二念を継がせない』(不安や疑心を与えない)言動を取るとことは、人間関係を良好にしていく上では大切な事だと思います。 
例えば先述した、山登りをしてすれ違う人に「こんにちは」と挨拶するという行為は、ただでさえ熊や猪などの野生動物に遭遇する危険を意識しなければならない環境で安心感を与えるものだと思います。
「おはようございます」と元気な声で挨拶をする。人に笑顔で接する等々。出来ることはいろいろありますね。

令和3年5月

監査担当者 山本 哲也

2021年4月掲載分

~想像力を持って対応する~

 夜寝ていた時、電話(固定)が鳴りました。時計を見ると午前3時30分。「何か大変なことが起きたのか?!」と受話器を取るとツーツーツー と切れていました。その一週間ぐらい前にも、時間は深夜ではなかったですが同じようなことがあり、二回目でした。いたずら電話 ? 自動でかけてきて音声が流れるものの設定時間ミス?詐欺?…結局何の電話なのかはわかりませんでした。電話を取るまでの「何か大変なことが起きたかも知れない!」という不安とツーツーという音を聞いた後のやり場のない怒りだけが残りました。 

最近、電気代や電話料金、インターネットのプロバイダー契約について「料金が安くなりますよ」という電話も多くかかってきます。先方は「少しでも安くなる」というこちらにメリットを与えたい、知って欲しいという善意に満ちた思いがあるかもしれません。ではなくて“やらされ仕事“であるという思いで仕方なしに電話をかけているのかもしれません。 

こちらの状況によって、あるいは電話の相手の話し方によって、私の電話の切り方も、説明を一通り聞いてからいくつか質問をして内容を充分理解するまで話を聞いたり、対応が面倒くさくなってしまい話もそこそこにすぐに切ってしまったり対応はまちまちです。結局のところ私のその時の気分なのでしょうが…。 ただ、相手の“気分“というものをどう動かすかは、とても大事なことだと思います。 

先日ある会社から「税務署から電話がかかってきたが内容がよくわからないまま“またかけ直します“という中途半端な状態になっている」という旨の電話がありました。 

一般の人は税務署や警察から突然連絡があると、例え後ろめたいことがなくても「何かがあったのか?」と不安を感じてしまうのが普通だと思います。私も職業柄、税務署からの電話があったと言われ、気持ちが穏やかではありませんでした。(税務署から連絡があって、喜びを感じた経験は、皆無ですから(^_^))すぐさま税務署に確認したところ、税金の納期限変更のお知らせでした。税務署の対応としては「相手を思っての丁寧な対応」をしたのかもしれませんが、実際にはその電話がかかってくる前に納付を完了されていたので、逆に相手に不安を与えるだけの結果になってしまいました。 

私もこれまで自身の思い込みや、自身の都合を優先して、相手の方の“気分“を害してお叱りを受けたことも幾度かありました。相手の“気分“を害さないようTPO(時間・場所・場面)に合わせた想像力を持って対応することが大切ですね。(決して媚びへつらうということではなく…)

令和3年4月

監査担当者 山本 哲也

2021年3月掲載分

~“一番”になるということ~

 昨年はコロナの影響で中止された選抜高校野球が今年は開催されました。甲子園出場を目指し、その大きな目標に向かって練習に打ち込み、ついにその権利を獲得していたにもかかわらず、その夢の舞台がまさかの中止に。その高校生達のショックは、私たちの想像を遥かに超える大きなものだったに違いありません。今年、開催できたことは大変喜ばしく思います。

 私は中学、高校の部活動はハンドボールをやっていました。花形スポーツの野球やサッカーからすると少し(かなりかな…)マイナーなスポーツかもしれません。
こう見えても(どう見える??)中学も高校もレギュラーで試合には出させてもらい汗と涙を流し、人並みにスポ根を実際に経験してきました。中学時代は弱小チームでいつも何試合かしてようやく一勝するといった感じでした。隣で練習していた女子は県大会出場の常連チームでした。しかし、根の腐った負け癖のついている私(達)は、いくら県大会出場チームでも、いざ自分達と試合すれば当然自分達が勝てるという屈折した自信を持つぐらいのことしかできませんでした。(もちろん実際に試合することはありませんでしたが…)心の底では、かなり羨ましく思っていました。
 高校になると一転、東三河では優勝もして県大会にも何回か出場するチームとなりました。しかし、県大会では概ね一回戦敗退でした。そんな県大会会場で貴重な経験をしました。隣のコートで全国制覇狙う女子チームの練習を目の当たりにしたことです。全員スポーツ刈り、動きもキビキビして、試合前のシュート練習が、全員倒れ込みシュート(シュートした後、柔道の受身のように地面でくるっと回る)、声も皆がしっかり出している。練習といえども緊張感が走り、一瞬たりとも気を抜いていない。僅か5分ぐらい見ていただけでしたが「試合したら絶対負けるな」と感じました。中学時代のような屈折した自信は微塵も湧いてこない。全国制覇するということは、並大抵なことではない、目には決して見えませんが、戦う前から、相手を圧倒する、それ相当の雰囲気というかオーラを放っていました。次元の違い、意識の違いを強く見せつけられました。

 企業経営においても、「地域一番を目指す!」という戦略があります。“一番”は、並大抵の努力では獲得できないもので、戦う前から相手を萎縮させてしまうとか、その魅力で自然と人などの経営資源を引きつけるものだと思います。
 もしかすると“一番”は目指すものでなく、類い希なる地道な努力の積み重ねにより、醸造された結果として現れるものなのかもしれません。
「志を持って行動しよう!」全国制覇を目指す高校球児の姿を観て、そう思いました。

令和3年3月

監査担当者 山本 哲也

2021年2月掲載分

~苦しい時、辛い時の呪文~

 子供の頃の冬の風物詩といえばマラソン大会でした。私はこのマラソン大会がとても苦痛でたまりませんでした。そんな時あるマラソンランナーの話を耳にしました。「練習は辛くはないですか?」という問いに「もちろん辛い時もありますが、そんな時は次の曲がり角まで、次の電信柱までと頑張るんです。すると最後まで走って頑張れるようになれるのです。諦めない気持ちが大切です。」
とインタビューで質問に答えていました。子供だった私の心にその言葉は大きな影響を与えました。その言葉に影響を受けてマラソンが速くなったわけではありません。その言葉が誰のものだったかも覚えていません。ただそのフレーズが印象に残って今に至っています。
 苦しくてどうにも耐えきれないような状況になり、張り詰めた緊張感に自分が押しつぶされそうになった時、マラソンランナーの言葉の「次の曲がり角まで」「次の電信柱まで」を「あともう1回だけ」「あと1日だけ」…のように「あともう◯◯だけ」と自分自身に呪文を唱えるように言い聞かせるようしました。
 時間的にもすぐ訪れる目標を置き、自分を鼓舞するのです。否応なしに時間が経過します。その経過した時間内では問題自体はそれほど解消されていないのですが、問題そのものに自分の心が慣れ、なんとか問題を少しずつ解消していく、そんなプロセスを身につけることができるようになりました。

 折しも、この原稿を考えている今は、確定申告期の真っ只中です。
精神的にも体力的にも少し追い込まれつつある状況です。

 月曜日の早朝から「あと6日頑張ろう…あと6日頑張ろう…あと6日頑張ろう!」とぶつぶつと呟きながら散歩しています。確定申告を29回目も迎えているのに月曜日にはいつもそう思うのでした。何回やっても克服出来ないものはありますね。曲がり角をもう一つ頑張って走ってもマラソン大会が好きにはなれなかったように…それでも完走することは大事ですね。

令和3年2月

監査担当者 山本 哲也

2021年1月掲載分

~喧嘩両成敗~

 ある日、ドラッグストアで買い物をしているとレジの方で男性の怒鳴り声が聞こえてきました。「謝れ!」とレジの女性に罵声を浴びせていました。私がいたところからレジまではかなり距離があったので店中に聞こえるぐらいの大音量でした。
 トラブルの内容は全くわかりませんでしたが、男性客がまくしたてるように、ものすごく大きな声で怒鳴っていることだけがわかりました。
 近づいてみると、女性店員は「申し訳ありませんでした」と小さな声で謝罪をしていました。怯えていた風にもとれるし、面倒くさいから形式的に謝っていた風にもとれるような力ない言葉でした。
 そこでようやく事態は終息して、男性客は店から出て行きました。すると次に並んでいた女性客が怒鳴られた店員さんに向かって、「ほんとに仕方のない嫌な人だね。」と男性客を批判するようなコメントをして店員を慰めていました。
 怒鳴った男性は“加害者”で、怒鳴られた店員は“被害者”という構図。その時、現場にいた人はほとんどそう感じたことでしょう。その時は私もそう感じました。
 しかし、「果たして本当はどうだったのだろうか?」と疑問を抱きました。
 その店には定期的に何回か行っており、その店員さんにレジでの接客を私が数回受けた時の対応を思い浮かべました。“我慢できないほど対応が悪い!”と男性客がしたような怒りを感じる程ではありませんが、他の店員さんの対応に比べると少し無愛想というか、心がない接客しているという感じがしていました。
 もちろん、感情に任せ、怒りをあらわにして罵声を浴びせた男性客に非はあります。しかし、店員さんに全く非がなかったか?と言えばそうではないのかもしれません。

 私は、◯か×かのマークシート方式に代表されるような教育を受けてきた人間なので、自分自身がどうしても択一方式にて答えを出す考え方が染み付いてしまっているように感じています。白黒はっきりしないと気がすまなかったり、好きか嫌いか極端な判断を瞬間的にしたり…
 物事を判断する時、その局面を多方向より見る視点を持ち、総合的に判断することが経営者には必要だと思います。私の経験上、自分自身の“常識”や“慣習”にとらわれて判断した時、誤った判断してしまったことがあります。
 今回の場合、怒鳴った男性客と怒鳴られた女性店員に下すべき処分は、“喧嘩両成敗”が適当な判断でないかと私は思っています。(大岡裁きのようでしょう!(^_^))

令和3年1月

監査担当者 山本 哲也

2020年12月掲載分

~「行雲流水」~

【庭の木が枯れてしまって感じたこと】
 昨年の夏、猛暑だったせいか、ハナカイドウの木の葉っぱがすべて突然枯れてしまいました。20年近く前に苗木を買って庭に植えたところ、毎年毎年春に桜のような花が咲き、子供達の入園式、入学式の写真の背景をいつも飾ってくれていた木でした。秋の終わりに何本かの枝を切り落とし、状況を確認しました。枝の中が空洞になってしまったものもありました。春に少しでも芽が出ればと一縷の望みを託し、幹から切り倒すことはしませんでした。
 いつもいつも決まってあったものが、突然なくなってしまうと、例え些細なものであっても、寂しく感じてしまう自分がいます。執着心があり、人間的にまだまだだなぁと思います。
 そんな時ちょうど「行雲流水」(こううんりゅうすい)という言葉をたまたま新聞で目にして、意味を調べて見ると『空を行く雲と流れる水。一点の執着なく、物に応じ事に従って行動すること。自由に気ままに、何ものにもとらわれないこと。』とありました。なんとなく、その時の自分に必要な言葉を見つけたような気がしました。

  【失敗から学ぶこと】
 自ら進んで故意に失敗をする人はないと思いますが、ミスは少なからず発生するものです。私もとある金曜日の帰り際、業務ミスに気づいてしまいました。そんな時皆さんはどのような心持ちでしょうか?
 「出来れば隠してしまいたい!」、「恥ずかしくて逃げたい!」「自分のせいじゃない!」「大変な事になった…どうしよう」など自分の頭の中でぐるぐるとマイナスイメージが充満してしまうことはないでしょうか?
 私は人間が出来ていないのでぐるぐる嫌な方向に考え嫌な気持ちのまま週末を過ごしてしまいました。あれこれ考えた末、すぐさま失敗を認め、上司や関係者に報告を行い、自らの非をお詫びして、本来あるべき正しい処理をするということが一番という結論に至り、月曜日の朝一番からそのように行動しました。(過去何度もミスをしているので本来ならばすぐその結論に至らなければならないのですが…)
 これも、一点の執着なく、物に応じ事に従って行動する「行雲流水」の精神で行けばよかったと反省してしまいました。しかし、なぜ人間は何度も同じ過ちをしてしまうのでしょうかね?それは私だけでしたか?…(^_^)

令和2年12月

監査担当者 山本 哲也

~心が落ち着く瞬間~

 コロナウィルスの第3波がきて、一部地域ではまた外出自粛要請が出ています。外出できないことでストレスが溜まってしまう人もいるそうです。
 自分なりのストレス発散方法や、どうやったら心が落ち着くのかを考えて実践することが大切なことだと思います。

 私は澄んだ青空を見ていたり、なんでもない山々や川、街並みを見るだけで心が落ち着きます。特に空を見ると「嫌なことがあれば、落ち込んだ気持ちが前向きになり、良いことがあったときはもっと頑張ろう、もっと上手にできる」と向上心が雲のようにわいてきます。こんなに安上がりな人ばかりではないと思いますが、自分なりのリセットボタンがあると良い方向に進みます。

 私は最近までお昼休憩に散歩をしていました。12月に入ってからは寒すぎて歩けていませんが(汗)。11月の暖かいというよりは暑い日に散歩をしていた時に、ふと「こんなに暑いのにセミの鳴き声が聞こえないな」と暦的にはおかしなことを思いました。
 そんな時に空を見ると冬になったんだなと感じるほど雲一つない青空でした。季節感もなくなるくらい周りに関心がなかったのかと自分が情けないなと思うくらいそんなに時間が経ったのかと感じました。

 コロナの影響で自粛せざるをえない人は季節の変わり目を感じることなく、日々が過ぎていくと思うとストレスが溜まるのも仕方ないかもしれないけれど、それをどう乗り越えるか克服するかを考えていかないといけないと思います。
 ウィズコロナなんて呼ばれるくらいコロナと今後しばらく付き合っていかなければならないと考えた時に自分がおかしな行動をしないように心を落ち着けて生活していく術を身につけていかないといけないですね。

 私は自分が話をするのも好きですし、話を聞くのも好きなのでもし愚痴をこぼしたり自慢話をしたいなんて時は私に話してストレス発散であったり、自慢出来てすっきりした気分になってください。いつでも話を聞きます。

令和2年12月

監査担当者 杉浦 翔太

2020年11月掲載分

~法律や規則は何の為に?~

 先日朝散歩をしていると私の目の前の一旦停止の道を猛スピードで通過していく車がありました。「危ない!」と身の危険を感じると同時に少しの怒りを覚えました。一旦停止をしたかしないかぐらいの微妙な状態で交通違反切符を切られたことのある私は「こういう行為こそ警察は取り締まらなきゃいけない!」と猛スピードで通過した車への怒りと同時にそんな思いも抱いてしまいました。(理不尽かも知れませんが…(笑))  

 随分昔、私が子供の頃の出来事です。小学校の校庭でみんなと遊んでいる時、一方通行の道を逆走する車がありました。「交通ルールを守りましょう!」といつも教えられている小学生の私達にとってこの行為は許しがたいものでした。みんなで急いで近くの交番に行ってその状況を伝えようとしましたが、あいにくお巡りさんは不在でした。仕方なくそこにあったメモに車のナンバーと状況を報告して交番を後にしました。正義感に満ちた私たちは「誇らしげな満面の笑み」で、近所の大人達に報告しました。しかし、大人達は少し訝しい表情の「冷ややかな笑み」を浮かべていました。何で「よくやった!」と誉めてくれないのだろうか?と小学生の私は不思議に思いました。その時を振り返って思えば、おそらく、その辺りを走る車は同じ町内の人が殆んどのため、そのぐらいの軽微な交通違反を罰してもらうよりも町内のお付き合いが円滑にいく方が重要だとの忖度からだったのでしょう。 

 法律とは?と辞書で調べると「社会生活を保つために定めた、支配的(特に国家的)な規範。」、「社会秩序を守り、国民の生活をより豊かにするために存在しているルール」とあります。
 最近、防犯カメラ、ドライブレコーダーの普及による窃盗事件、傷害事件、あおり運転等の犯罪摘発に相当の効果を発揮しています。それらのツールを駆使することで私たち一般人でも、社会秩序を保つことに貢献していると言えます。
 一方、コロナ禍に営業していた飲食店等を極端な方法で批判する過度な「自粛警察」は如何なものだろうか?と感じてしまいます。私が小学生の頃、一方通行を得意げに通報したように…(笑)
 当然ですが、法律や規則がまず有りきではなく、人々の幸せや安心安全の確保がまず有りきで、それを補完する為に法律や規則があるのだということをいつも意識して暮らしたいものですね。他人を思いやる気持ちを常に持って。

令和2年11月

監査担当者 山本 哲也

2020年10月掲載分

~祖父からもらったハーモニカ~

 NHKの朝ドラ「エール」が地元豊橋もロケ地になったこともあり、毎日みています。ある日の放送で戦時下の物語が描かれていました。主人公がミャンマー奥地に慰問に行き、そこで兵隊を集めて小人数ですが楽団を組み、音楽を奏でるというシーンがありました。しかし、敵襲に遇い多くの人がその場で倒れていきました。戦争の悲惨さ、無意味さが描かれていました。
 20年ほど前に亡くなった私の母方の祖父は、出征しミャンマー(旧ビルマ)の部隊に配属され戦時下を生き抜き帰還しました。九州の佐賀県に住んでいたため、私が祖父と会ったのは十数回ぐらいだったと思います。あまり多くない祖父との思い出で40年程経った今でも印象に残っている出来事があります。それは、私が小学生の高学年か中学生だった頃の事です。その時、祖父はおもむろにハーモニカ (YAMAHA製)を取り出して、“おてて つないで 野道を行けば ♪“が歌い出しの「靴が鳴る」を吹いてくれました。吹き終わるとそのままそのハーモニカをシャツの袖で拭き、私に手渡しました。私の記憶の中の祖父は寡黙な人で、あまり言葉多く語ることはなかったので、どんな想いでそのハーモニカを私に手渡したのかは言葉では伝えませんでした。
 その後、祖父が亡くなるまで、会う機会は何回かありましたが、私がその事を聞く事も、祖父が語る事もありませんでした。
 今となってはもう聞くことができません。戦争で徴兵され外地に赴き、生きるか死ぬかの修羅場をくぐり抜け生還する。ここで私が薄っぺらな文章でいくら表現しても表し切れない深い想いが存在していた筈です。
 どんな想いを祖父が持っていたかを私は自分で想像する範囲でしか理解することしか出来ません。私が祖父の実際の想いの8割ぐらい理解したのか、1割も理解していないのか、それは誰にもわからないことです。
 言葉では伝えきれないものはこの世に無限に存在します。
 音楽であったり絵画などの美術品であったり、人の行動、所作であったり様々です。

 伝え継承していかなければならないものとは何か?
 私の中のその答えの一つが、今尚、手元にある75年以上前のキズやへこみがある、祖父からもらったこのハーモニカです。このハーモニカを見て、祖父の想いがどれほどだったのかと、私が想いを巡らすことに充分意味があることであり、後生に伝えたいことだと思っています。

令和2年10月

監査担当者 山本 哲也

2020年9月掲載分

~常に種を蒔き続ける!~

 このインフォメーションも毎月毎月書き続けて7年が経ちました。この程度の内容、文章量でも素人の私が毎月書くのはそれなりに労力がかかり大変でしたが、何とか続けてやってきました。
 ネタが無く苦しんで期日ギリギリで絞り出した結果、中身の薄い内容になってしまったり、逆に難なくすらすらと文章が出てくる時もありました。この「インフォメーションを書く」という課題を早めに済ませたくて無理矢理書こうとする時よりも、何を書こうか全くプランがなくてもフッと湧いてきた文章の方が自分自身の評価としては出来がいいと思える文章となることが多いです。(売れっ子作家が言っているみたいな感想で恐縮ですが…)
 違いは何か?と振り返って考えてみると、それは私自身の心の持ちようの違いだったと気付かされました。
 「書いて提出する」という作業をこなさなければならないという心持ちの時は辛く苦しく感じます。
 それとは逆で、ある出来事を目の当たりにして「誰かに伝えたい」「誰かの参考になるかも」と思える時は、割とすらすらと書くことが出来、苦になりません。
 その事を認識してからは、まず「伝えたい出来事」を探すようになりました。どんな小さな出来事でも自分の心に留まる事は、忘れないようにその時なるべくスマホにメモするようにしました。アンテナを張って情報収集をいつでも行うことを心掛けました。当然その収集したすべての情報を書き出すことは出来ません。ボツネタもあります。それにめげずに続けていくことが大切だと自分に言い聞かせています。(^_^)

 これは、会社経営にも役立つ考え方であると私は感じています。
 ある社長に「この先行き不透明な時代にどう会社を経営していけばいいのか、何か良いアドバイスはないか?」と言われたことがありました。「起死回生の一発逆転満塁ホームラン!」のようなアドバイスを私が出来る訳もありません。現状その会社では取り組んでいない小さな具体的な対策例を何個か挙げました。つまり、「いろんな種を蒔き続ける」ということが私の回答でした。
 企業の経営理念、経営方針で「種を蒔く」というワードを使っているのをしばしば見かけます。それだけ、この考え方が経営に効果があることを示してます。
 蒔いても芽の出ない種もあるかもしれませんが、種蒔きをしないで花が咲き、実がなることはありませんね。まずは地道に種まきをひたすら続けて行きましょう!

令和2年9月

監査担当者 山本 哲也