つなぐ・架け橋ノート
今の相続は日本と家族を潰す 好評発売中
正しい相続対策。
税理士法人あけぼの 豊橋西事務所
ビジネス図書館
経営お役立ち情報
税理士法人あけぼの
TKC全国会会員です
TKC全国会
TKC全国会は、租税正義の実現をめざし関与先企業の永続的繁栄に奉仕するわが国最大級の職業会計人集団です。
東海税理士会所属

スタッフ事務所通信

毎月スタッフより日々感じたこと体験したことを自由に掲載させて頂いています。お気軽にご覧下さい。

写真:スタッフ事務所通信

2022年8月掲載分

~記憶に残る数字ありますか?~

 皆さん、記憶に残る数字、忘れられない数字ありますか?
 昨今のIT社会では暗証番号、パスワードが必須なので、それらの忘れられない数字に絡めて設定する人もいるのではないでしょうか。誕生日、電話番号、住所の地番…色々な数字があると思います。
 私にとって、「4.7.4」が記憶に残る数字の並びの一つです。それが何かというと税理士法人あけぼのの前身の白柳経営会計事務所に入所したのが、平成4年7月4日でした。それだけだと忘れてしまいそうですが、社会保険の健康保険証に資格取得日が表示されている為、病院にいく都度眺めているうちに意識が刻ませたのかもしれません。また、福利厚生の一環で勤続5年毎に永年勤続表彰してくれる制度があるので入社年月日を意識することが比較的多かったことがその一因でもあります。そして最近、書類を記入する上で日付を書くと「令和4年7月4日」となりました。その「4.7.4」の並びを見た時、見覚えのある、何となく懐かしい思いに駆られました。
 元号が平成から令和に代わり同じ数字の並びの「4.7.4」でも、30年の歳月が経過しました。
 日本の経済状況はバブル崩壊後の停滞状況から「失われた20年」といわれ、最近では「失われた30年」とも言われています。まさにその真っ只中に私の「4.7.4」の30年もありました。
 私の入所した頃は企業の廃業率は5%前後と言われており、単純計算で企業の寿命は20年と計算した覚えがあります。また「企業30年説」という考えもあり、そんな中で同じ職場で30年を過ごせてこられたことに感慨はひとしおです。
 会計事務所の業務を行う環境も随分変わりました。今、パソコンはノートパソコンやタブレットが主流ですが、当時は、記憶媒体が5インチのフロッピーディスクのデスクトップパソコン、持ち運べるタイプのパソコンと言えば「ラップトップ型(膝の上に乗せるタイプ)」と呼ばれる大きなものでした。携帯電話もまだ普及していませんでしたし、インターネットもありませんでした。さすがに私はそろばんで計算ということはなかったですが、そろばんでやる方が早いという人もいました。帳簿はもちろん手書き…当時どうやって業務を行っていたのだろう?と思います。もう現在のツール無しでは業務を行うことは絶対に出来ません。
 30年なんとか過ごしてこられたのは、このような業務環境の変化、そして何よりこれを読んで下さっている方を始め、これまで出会った方々のお陰だと思います。
 「石の上にも三年」と言う格言にも従わず、1年数ヶ月で前職を早々と退職した人間が三年の10倍もの歳月を重ねることができました。本当に有り難うございました。
 ちなみに「4.7.4」に関連する私のパスワードは一切無いので、ご安心ください!(^_^)

令和4年8月
監査担当者 山本 哲也

2022年6月掲載分

~「思い込み」と「長年の勘」~

 ある朝、平衡感覚がおかしくなったのか?目が悪くなったのか?と感じることがありました。少し目が回るような、ピントが合わないような違和感を覚えました。
 最近は朝仕事をする前から目薬をさすことも珍しくなくなったので、「だいぶお疲れなんだな」と自分で勝手に思い込んでいました。
 朝一番、事務所でパソコンのスイッチを入れてメールのチェックをしようとデスクワーク用の眼鏡に掛け替えようと普段使いの眼鏡をはずしたその瞬間…
 眼鏡の片方のつるが根元から折れて完全にとれてしまいました。
 この時点で初めてピントが合わないような違和感を覚えていた原因がわかりました。片方の目だけ視力の矯正が上手くできてなかったから違和感を覚えたのでした。
 この件に関して私の二つの「思い込み」がありました。
 一つは最近疲れているから一時的に目まいぐらいしても不思議ではないという「思い込み」です。今だかつて目まいなんて感じたことがないのにもかかわらず、何故だかその事象が今起きていると「思い込み」をしまいました。
 もう一つは眼鏡がそんな状態になるまで、異常を感じられなかったこと≒眼鏡が壊れることがないという「思い込み」です。眼鏡が壊れるということは日常茶飯事とまではいいませんが、あっても不思議なことではありません。いつ起きても不思議ではないことを全く予期していない「思い込み」でした。要するに私が自分勝手に判断して頭の中でそう考えているだけだったのです。
 しかも、おめでたいことにその判断に一時間近くなんの疑いも持たずに過ごしていました。「眼鏡が壊れる前に何回かは脱着してるでしょ?それで気づかないの?」と思われる方もいますよね?そう自分自身が真っ先にそう突っ込んでます!気づかないんです。「思い込み」とは怖いのものですね。
 この事象に限らず、物事の判断は自分自身で、瞬時に行い、しかもいつも同じように判断するわけでもなく、その時々において適当に判断をするわけです。そして必要な行動を起こしたり、そのままやり過ごしたりするわけです。
 この判断により物事が思う通りに行かなかった(悪い結果をもたらした)場合「思い込み」となり、思い通り(想定した通り)に進んだ場合「長年の勘」が働いた!と言うのですね。
 「そうそう!」「そんなことあるある!」とここまで読んで頂いた皆様の納得された顔が思い浮かびます。
 「何故か?」って?もちろんそれは「長年の勘」です!

令和4年6月
監査担当者 山本 哲也

2022年5月掲載分

~クレームを言ってから感じたこと~

 ある日曜日の朝の出来事です。トイレの便座の蓋の根元のプラスティック部品が割れてしまいました。蓋を開け閉めするとその部分が電源をオンオフする仕組みとなっていました。とりあえず接着剤で補修してみました。小さな部分なので接着剤が手に張り付いてガサガサになりましたが、なんとか割れた部分を上手く接合することができました。充分乾かしてから元のところに取り付けて正常に作動するか試しました。しかし、接合部分にかなりの負荷がかかるのか再び割れてしまいました。
 仕方なく修理を諦め、販売店に「部品を取り替えれば済むので部品だけ売って欲しい」と依頼しました。すると「その商品は修理が原則なので、部品だけの販売はできません。修理業者を一旦お伺いさせて頂き現状を確認させて頂きます」との回答。「その修理業者はその交換部品を持っているのですか?」と聞くと「持っていません。修理が必要となればその時点で部品を発注して後日改めて取り付けに伺わせます。」「はぁ?」明らかに時間と労力の無駄であることを何度か説明しましたが「部品だけの発注はできません」の一点張り。その融通の無さに怒り心頭で電話を切りました。
 だったらメーカーに直接連絡して部品を取り寄せようと考えました。しかし、日曜日受け付け時間外。
 仕方なく販売店に再度連絡し、部品調達対応部署の連絡先を教えて欲しいと依頼しましたが、また修理依頼をとの一点張り。
 ホームページで本社の電話番号を調べてことの次第を一から説明し、部品の発注を依頼しました。今度は電話対応してくれた人は、「修理依頼が原則ですが、部品単独の購入が可能かどうか折り返し連絡致します」と柔軟な受け答えでした。
 しばらくすると折り返しの連絡がありました。本社からでなく、あの融通の利かなかった近隣店舗の担当者からでした。
 「先程は申し訳ありませんでした。部品の発注を致します…」、「最初からそうすれば…」との言葉を飲み込み事務的な用件を済ませ電話を切りました。

 一連の対応で折角の休日が半日潰れてしまいました。最後には私の希望の通り部品の発注は出来ました。しかし、クレーマーと化した私は、対応相手も私自身も嫌な気分にしてしまいました。接着剤のついたガサガサな指先を見ながら、こんなにも怒ってしまったことに自己嫌悪に陥りました。別にもっと良い対応の仕方があったのではないかと反省しました。
 「察しろよ!」ではなく「察してあげないと…」その心持ちが必要だったのだと思います。みなさんも“自分が正しい”という思いに強く依存することありませんか?

令和4年5月
監査担当者 山本 哲也

2022年4月掲載分

~「老い」と「健康」~

 先日、久しぶりに両親を連れて出掛けました。コロナ禍でなかなか外出することがなく、父親は元々持病を持っているので体調が良い時でないと外を散歩することもままならず、歩く機会はめっきり減ってしまいました。連れて行ったのは草花や庭木などの植物を販売しているかなり広い施設でした。途中椅子に座って休憩しながらでしたが小一時間歩きながら品定めをしていました。買い物を終えると母親が歩数計を確認し、「久しぶりに歩数が2000歩を超えた」と幾分嬉しそうに言っていました。毎日10000歩を歩いている私からするとその1/5です。しかし、両親からすると久しぶりの大した歩数だったのです。
 その帰りに昼食にうどん屋さんに寄りました。両親はランチメニューを選びましたがとても食べきれないので、量を減らしてもらうように注文をしました。しかし、量を減らしても二人とも食べきれませんでした。
 歩くことがつらくなる、食が細くなる。そうなってしまうと、どうしても以前の、(もう少し若い時の)状態と比べてしまい「随分、年を取ったなぁ」(老いてしまったなぁ)感じてしまいます。

 最近は“人生100年時代“とか“健康寿命“という言葉をよく耳にするようになりました。冗談で「ピンピンコロリで人生終わりたいねぇ」とか言ったりしている人もいますね。
 長生きするならば、家族に迷惑をかけず、自身も辛い闘病生活をしたくないという思いに駆られるのも必然だと思います。そこで「健康でいなければ…」という思いが強くなり一つの強いストレスが生まれます。
 五木寛之さんの『健康という病』という著書を読んだことがあります。健康を意識するあまり逆にそのストレスで健康を害することもあるという内容が確か書かれていたように記憶しています。
 全てのストレスを避けて生活をすることは不可能に近いですね。老いていくことを緩やかにしたり、フィジカル的な健康を維持し続けていくことは誰しもの願いです。しかし、そう願っていても、思うように歩けなくなるとか食が細くなる、もっと深刻になると大病に罹患することもあります。そんな時にメンタル的な健康まで害されないように、その状況を受け入れ、少しでもストレスを受けないような心持ちでいられることが大事なことなのではないのかなぁと改めて思いました。

 そう書きながらも「健康でいなければ」という病にかかっている私はその翌日、普段の倍以上の23,199歩 も歩いてしまいました。(歩き過ぎ!ですね(^_^))

令和4年4月
監査担当者 山本 哲也

2022年3月掲載分

~便利になった!」そんな時に思うこと~

 時節柄、私達の生活基盤がある東三河でも、大都会ほどではないにせよ、仕事の仕方も少し変わってきました。人との接触機会を減少させる為に、在宅勤務、Web会議、消毒液、マスク、検温等々実践されています。後ろで犬吠えるのが聞こえる在宅勤務の方と電話で話をすることもこれまではあまりないことでした。Webで研修を受講したり、研修会を行ったりもするようにもなりました。先日は決算報告に伺った時に急遽社長への説明をWebで行いました。先方がWeb会議に慣れていらしたので、すぐに資料をスキャナーで取込み、メールで送信して準備して頂きました。しかし、私が不慣れなため、資料の説明に四苦八苦してしまいました。何事も経験ですので、不手際があったこの決算報告をきっかけに次回からは少しでも分かりやすくお伝え出来ればと思っています。貴重な経験をさせて頂き感謝しております。
 決算報告が終わった後、色々準備して頂いた方のパソコンで電子納税の手続き確認を行いました。そのパソコンの壁紙が犬の写真だったので、「電話の後ろで哭いていた犬ですか?」と聞いたところ笑みを浮かべながら「そうですよ。」と答えてくれました。そこから決算説明以外の生命保険の件、相続の件と話題が広がりました。
 これは実際に面と向かってお話しさせて頂いたことにより得られた有意義な時間だと思います。Webを利用したコミュニケーション、インターネットを通じて行う電子申告、電子納税。ものすごく便利になったことを私は実感していますし、皆さんもそうだと思います。
 一方、別の方からこんな話を聞きました。
 「ある人が体調が悪くなり欠勤の連絡を電話ではなく、メールで行った。それが何らかのトラブルで勤務先に伝わらずに無断欠勤状態になった。そればかりか折り返しの連絡が取れなかった為、会社側は逆に色々な心配をして、本人宅を訪ね安否確認した。」
 上記は大雑把な概略ですが、皆さんからも色々なご意見が出るのではないかと思います。
 IT技術の目覚ましい発展、そこから派生しSNS等便利になったコミュニケーションインフラ。反面、人とのコミュニケーションが不足しがちになったり、IT犯罪に巻き込まれるリスク増加。
 逆に私と同世代の方なら「飲みニケーション」なんて言葉の信奉者もいらっしゃるのではないかと思います。
 どんなに技術が進歩し環境が変化しても、人との関わり方は最も大事にしなければならないことに変わりはありませんね。
 犬猫の話題のリクエストを頂いたK藤さん!有難うございました。しっかりリクエストお応えさせて頂きました。あれっ!?(^_^)

令和4年3月
監査担当者 山本 哲也

2021年12月掲載分

~新しいことを始めませんか?~

 最近、テレビで先輩サラリーマンが後輩に「初めてのことがなくなっていくというのはさみしいものだ。…はじめてを楽しむんだぞ!」というセリフを言うCMを観ました。そのCMの内容そのものではなく、そのセリフが印象に残りました。自身のことを改めて思い返すと「そういえば最近初めての事って無くなったなぁ。」と思いましたが、それが“さみしいものだ“とは感じていませんでした。というか、そもそも「初めてのことがない」→「さみしい」という発想が今の自分にはないことに気づかされました。「初めてのことがない」→「安定感」ぐらいに思っていました。それ故、新しいことに敢えてトライせず、規定路線をひたすら継続して行く方向性で行動していたと思います。一種の自己防御本能なのかもしれません。

令和4年、新年を迎え、何かを始めるには年初というのはタイミングなのかもしれませんね。

私のこのコラムもvol.100と一つの節目を迎えました。こんな拙い文章に何人の方かはわかりませんが、お付き合い頂きありがとうございました。最初からお読み頂いている方は、8年4ヶ月、私自身過去の文章を読み返しているわけではないので、内容的に重複しているものがあったのかもしれません。全て私自身がその時に体験したエピソードを基に感じたことを勝手気ままに書き綴ってきたのでその点はご容赦下さい。

 こちらが一方的に情報発信してきた為、皆様からお叱りを受けることも一切なかったので、自己防御本能で凝り固まっている私でも、ここまで続けてこられたのかもしれません。しかし、今回「このスタイルをずっと続けていてもいいのかなぁ?」と疑念が湧き、少しでも変化させたいと思いました。

皆様からの色々なご意見ご希望を頂きながら、この紙面を作っていきたいと思います。TwitterはじめSNSが、これだけ発達している時代に今さら紙面で?とも思いますが、まずは一回やってみよう!と思います。何でも構わないのでこちらのフォームよりご意見、ご要望等宜しくお願いします。

どんな内容になるかは皆目見当もつきませんが、ご意見がなければこのまま最終回となります!(笑)

令和3年12月

監査担当者 山本 哲也

2021年11月掲載分

~元通りに戻すのは大変?!~

 先日、朝の散歩を終え、出勤前に身支度をしていると突然ぎっくり腰になってしまいました。若い頃から何回かぎっくり腰をやっていますが、今回は重症で一人では歩くこともできず、横になっても寝返りも打てない程でした。当然のことながら私がルーティンとしていた一日一万歩歩くことが何年かぶりにストップしてしまいました。

 6、7年前にも同じように腰痛になってしまった時に、数年間毎日毎日続いていた一日一万歩以上の日課が途切れてしまいました。腰痛が完治しても一万歩を歩く日課を再開するまでに思いのほか時間がかかってもしまいました。身体的に辛くて再開できなかったというよりも気持ち的に元のように毎日継続してやる気が起きませんでした。一度緩んだタガはなかなか元に戻らず一月以上、一日一万歩行く日もあればいかない日もあるという状態が続きました。自分では「早くもとの状態に戻さないといけないかなぁ」「一日一万歩なんてあまり意味ないからこのまま止めてしまおうかなぁ」等々思いは行ったり来たりしていました。

 結局最後は「いつまでもあれこれとどうしようかなぁという思いを繰り返すのは無駄!」とそれまでは「一日一万歩以上」の後ろについていたもう一つの条件「週に10万歩以上」を解除して、再開しました。4,5年前にインフルエンザに罹患し、寝込んでしまった時も、そして今回も身体的な辛さが無くなったら、気持ち的にどうであろうと一日一万歩のルーティンを再開しました。私の中ではその方が早期に気分的にスッキリすることになるとの思いがあるからでした。

 一定の条件下で継続的におこなっていた、出来ていた「日常」が何かによって壊されてしまった時に元の状態に戻すには思いのほか労力を必要とすると思います。そして全く元通りにはならないのかもしれません。

 今現在のコロナ禍から以前の状態に戻ることも大変と思います。

 身近な事柄で言えば無くなってしまった町内会行事、学校行事、忘年会・慰安会、新たに始まったウェブ会議、在宅勤務等々。それ以前の状態に戻れるか、戻す必要があるのか?表面的なメリット、デメリット、そこから派生する様々な影響。考えなければならないことは色々あると思います。

 ただ言えることは、どんな状況になっても自身が生き続けて行く為に、時には自らも変化することが必要だということではないでしょうか。自身が少しでも気持ち良く生きて行くために…

 何年間後には私のルーティンは「一日5000歩を週3日!」となっているかもしれません。(笑)

令和3年11月

監査担当者 山本 哲也

2021年10月掲載分

~平坦な道の有り難さ~

 皆さんは気分が落ち込むことはありませんか?愚問でしたね。そんな時皆さんはどうやってその状況から抜け出しますか?

 私は気分が落ち込んだり悩んだりすると「とにかく行動することです!」というある心理学者の本の一節を思い浮かべます。その人が指し示す意味と私の解釈とは違うのかもしれませんが、私は「行動すること」=「体を動かす」と捉えています。

 コロナ禍が続いていたり、気掛かりな仕事が立て込んだりして、自分自身で精神的に少し落ち込みを感じていました。緊急事態宣言が全国的に解除された翌日の休日、朝起きてあまりにも天気が良かったので不意に「山に登ろう!」と思いました。

 距離的にも近く、それなりに体力も使わないと登れない山である本宮山に向かいました。登山口の駐車場に着くと非常事態宣言明け直後の為か満車でした。たまたまタイミングよく1台出ていく車があり、そこに停める事が出来ました。そんな小さな幸運にも何となく登山すること(=行動をすること)の背中を押されているような気がしました。

 登山口には鳥居があり、その脇に誰でも使える杖が何本も入っている箱がありました。単なる木の枝ですが、中には手に持つ柄の部分を刀の柄のように紐で巻いてあるものもありました。不意に登山思い立ったにわか登山者で軽装の私にとっては大変有難い“心配り“でした。「一本借りていこう!」と思い何本か手に取って選んでいる途中で気が変わり借りるのを止めました。登山途中でこの杖を持っていることさえも体力的に辛い状態になった時、どうするかを想像しました。この“心配り“をその辺に投げ置いていくことは出来ないなぁと考えたからでした。

 毎日歩いているとはいえ、体力の衰えは如実に現れ、登ぼり始めて10分もしないうちにはぁはぁと息があがってしまいました。やっぱり杖を借りてくれば良かった…と後悔しました。綺麗事を言わずに人の善意は甘んじて受けるべきですね。(笑)

 二時間かけて這うように登りきり頂上にたどり着きました。暫しの休憩の後、下り始めました。「下りも膝にくるから大変だよね。」とよく言われますが、私はこれまで登りより下る方が絶対に楽だと感じていました。だから、登りには今回2時間もかかってしまったが、下りは1時間半かそれより早い時間で降りられる!と思っていました。が結果、世間の定石通り膝がガクガクで登りとそんなに変わらない時間をかけて下りきり、登山口の鳥居に一礼し、山をあとにしました。

 駐車場まで続く平坦な道を歩くことが、こんなにも有難いものかと強く感じました。
人生においても、何気ない平凡な日々こそ有難いことと感謝しなければいけませんね。

令和3年10月

監査担当者 山本 哲也

2021年9月掲載分

~健康診断にて(その2)~

 前回に引き続き健康診断でのエピソードです。健康診断の実施する項目の中で医師の診察がありました。私が順番待ちで間隔を空けて待合用の椅子に座って待っていました。しばらくすると、一人の男性が立ち上がり、看護師に向けて「もう30分待っているんだ!」と怒り出しました。確かに待っている人も多く、待ち時間も長くなっていました。担当する医師は一人。私も待ちはじめて10分ぐらい経過していました。本を読みながら待っていたので不確かですが、その間診察室から出てきた人も、入っていく人もいなかったように思われました。遅々として進まない順番待ちに男性が怒るのも頷けました。

 しかし、ふと「この人は何に対して怒っているのだろう?」と思ってしまいました。(そんなどうでもいい疑問に思いを巡らせてしまった私も待ち時間をもて余していたのかもしれません。(笑))
「この先に何か重要な予定があり、それに遅れそうだからなのか?」「ただ“待つ“ということ嫌いで苛立っているのか?」「ここで待っている数名の代表者として遅々として進まない状況を打破してやる!という正義感からなのか?」とあれこれその人になったつもりで推察してしまいました。正解はもちろん判りませんでしたが、自分も含めて「人は何に、どういう時に怒りを覚えるのだろうか?」ということを改めて考える機会を与えられました。

 誰もが共有・共感できる怒り。例えば7月に福岡県で起きた保育園の送迎バス内に男児が何時間も取り残され熱中症で死亡した痛ましい事故。何故そんな事が起きてしまうのかと保育園のいい加減な確認方法に誰もが怒りを覚えたと思います。

 個々の感受性による怒り。自分と考え方が違う人がいることに怒る。自分の思い通り、予定通りいかないことに怒る。相手が言っていることは理論的には正しいかもしれないがその言い方が気に入らない!相手の事を思って言っているのに逆ギレされた!コロナ禍のオリンピック・パラリンピックの開催の是非のように怒りを感じる人もいれば怒りを感じない人もいる事象はたくさんあると思います。

 このように怒りを覚える事象や原因は様々ですが、怒りにはネガティブなエネルギーがあり、自分の心理状態を悪くしますし、周りの雰囲気も乱します。組織内に「怒り」があれば生産効率は下がるかもしれません。出来れば回避したいものです。

 怒りの感情は一時的に、急激に発達するので「6秒待って」冷静になる時間をおくとか、自分は何故怒っているのだろうかと自身が理解納得するまで、なぜなぜと自問し「怒りの地雷」がどこにあるのかを見つけておくことが怒りに対する処方箋だと私は思っています。(が処方箋を薬局に持って行き薬をもらいそれを飲むまでが…苦笑)

令和3年9月

監査担当者 山本 哲也