今の相続は日本と家族を潰す 好評発売中
正しい相続対策。
ビジネス図書館
経営お役立ち情報
税理士法人あけぼの
TKC全国会会員です
TKC全国会
TKC全国会は、租税正義の実現をめざし関与先企業の永続的繁栄に奉仕するわが国最大級の職業会計人集団です。
東海税理士会所属

スタッフ事務所通信

毎月スタッフより日々感じたこと体験したことを自由に掲載させて頂いています。お気軽にご覧下さい。

写真:スタッフ事務所通信

2021年3月掲載分

~“一番”になるということ~

 昨年はコロナの影響で中止された選抜高校野球が今年は開催されました。甲子園出場を目指し、その大きな目標に向かって練習に打ち込み、ついにその権利を獲得していたにもかかわらず、その夢の舞台がまさかの中止に。その高校生達のショックは、私たちの想像を遥かに超える大きなものだったに違いありません。今年、開催できたことは大変喜ばしく思います。

 私は中学、高校の部活動はハンドボールをやっていました。花形スポーツの野球やサッカーからすると少し(かなりかな…)マイナーなスポーツかもしれません。
こう見えても(どう見える??)中学も高校もレギュラーで試合には出させてもらい汗と涙を流し、人並みにスポ根を実際に経験してきました。中学時代は弱小チームでいつも何試合かしてようやく一勝するといった感じでした。隣で練習していた女子は県大会出場の常連チームでした。しかし、根の腐った負け癖のついている私(達)は、いくら県大会出場チームでも、いざ自分達と試合すれば当然自分達が勝てるという屈折した自信を持つぐらいのことしかできませんでした。(もちろん実際に試合することはありませんでしたが…)心の底では、かなり羨ましく思っていました。
 高校になると一転、東三河では優勝もして県大会にも何回か出場するチームとなりました。しかし、県大会では概ね一回戦敗退でした。そんな県大会会場で貴重な経験をしました。隣のコートで全国制覇狙う女子チームの練習を目の当たりにしたことです。全員スポーツ刈り、動きもキビキビして、試合前のシュート練習が、全員倒れ込みシュート(シュートした後、柔道の受身のように地面でくるっと回る)、声も皆がしっかり出している。練習といえども緊張感が走り、一瞬たりとも気を抜いていない。僅か5分ぐらい見ていただけでしたが「試合したら絶対負けるな」と感じました。中学時代のような屈折した自信は微塵も湧いてこない。全国制覇するということは、並大抵なことではない、目には決して見えませんが、戦う前から、相手を圧倒する、それ相当の雰囲気というかオーラを放っていました。次元の違い、意識の違いを強く見せつけられました。

 企業経営においても、「地域一番を目指す!」という戦略があります。“一番”は、並大抵の努力では獲得できないもので、戦う前から相手を萎縮させてしまうとか、その魅力で自然と人などの経営資源を引きつけるものだと思います。
 もしかすると“一番”は目指すものでなく、類い希なる地道な努力の積み重ねにより、醸造された結果として現れるものなのかもしれません。
「志を持って行動しよう!」全国制覇を目指す高校球児の姿を観て、そう思いました。

令和3年3月

監査担当者 山本 哲也

2021年2月掲載分

~苦しい時、辛い時の呪文~

 子供の頃の冬の風物詩といえばマラソン大会でした。私はこのマラソン大会がとても苦痛でたまりませんでした。そんな時あるマラソンランナーの話を耳にしました。「練習は辛くはないですか?」という問いに「もちろん辛い時もありますが、そんな時は次の曲がり角まで、次の電信柱までと頑張るんです。すると最後まで走って頑張れるようになれるのです。諦めない気持ちが大切です。」
とインタビューで質問に答えていました。子供だった私の心にその言葉は大きな影響を与えました。その言葉に影響を受けてマラソンが速くなったわけではありません。その言葉が誰のものだったかも覚えていません。ただそのフレーズが印象に残って今に至っています。
 苦しくてどうにも耐えきれないような状況になり、張り詰めた緊張感に自分が押しつぶされそうになった時、マラソンランナーの言葉の「次の曲がり角まで」「次の電信柱まで」を「あともう1回だけ」「あと1日だけ」…のように「あともう◯◯だけ」と自分自身に呪文を唱えるように言い聞かせるようしました。
 時間的にもすぐ訪れる目標を置き、自分を鼓舞するのです。否応なしに時間が経過します。その経過した時間内では問題自体はそれほど解消されていないのですが、問題そのものに自分の心が慣れ、なんとか問題を少しずつ解消していく、そんなプロセスを身につけることができるようになりました。

 折しも、この原稿を考えている今は、確定申告期の真っ只中です。
精神的にも体力的にも少し追い込まれつつある状況です。

 月曜日の早朝から「あと6日頑張ろう…あと6日頑張ろう…あと6日頑張ろう!」とぶつぶつと呟きながら散歩しています。確定申告を29回目も迎えているのに月曜日にはいつもそう思うのでした。何回やっても克服出来ないものはありますね。曲がり角をもう一つ頑張って走ってもマラソン大会が好きにはなれなかったように…それでも完走することは大事ですね。

令和3年2月

監査担当者 山本 哲也

2021年1月掲載分

~喧嘩両成敗~

 ある日、ドラッグストアで買い物をしているとレジの方で男性の怒鳴り声が聞こえてきました。「謝れ!」とレジの女性に罵声を浴びせていました。私がいたところからレジまではかなり距離があったので店中に聞こえるぐらいの大音量でした。
 トラブルの内容は全くわかりませんでしたが、男性客がまくしたてるように、ものすごく大きな声で怒鳴っていることだけがわかりました。
 近づいてみると、女性店員は「申し訳ありませんでした」と小さな声で謝罪をしていました。怯えていた風にもとれるし、面倒くさいから形式的に謝っていた風にもとれるような力ない言葉でした。
 そこでようやく事態は終息して、男性客は店から出て行きました。すると次に並んでいた女性客が怒鳴られた店員さんに向かって、「ほんとに仕方のない嫌な人だね。」と男性客を批判するようなコメントをして店員を慰めていました。
 怒鳴った男性は“加害者”で、怒鳴られた店員は“被害者”という構図。その時、現場にいた人はほとんどそう感じたことでしょう。その時は私もそう感じました。
 しかし、「果たして本当はどうだったのだろうか?」と疑問を抱きました。
 その店には定期的に何回か行っており、その店員さんにレジでの接客を私が数回受けた時の対応を思い浮かべました。“我慢できないほど対応が悪い!”と男性客がしたような怒りを感じる程ではありませんが、他の店員さんの対応に比べると少し無愛想というか、心がない接客しているという感じがしていました。
 もちろん、感情に任せ、怒りをあらわにして罵声を浴びせた男性客に非はあります。しかし、店員さんに全く非がなかったか?と言えばそうではないのかもしれません。

 私は、◯か×かのマークシート方式に代表されるような教育を受けてきた人間なので、自分自身がどうしても択一方式にて答えを出す考え方が染み付いてしまっているように感じています。白黒はっきりしないと気がすまなかったり、好きか嫌いか極端な判断を瞬間的にしたり…
 物事を判断する時、その局面を多方向より見る視点を持ち、総合的に判断することが経営者には必要だと思います。私の経験上、自分自身の“常識”や“慣習”にとらわれて判断した時、誤った判断してしまったことがあります。
 今回の場合、怒鳴った男性客と怒鳴られた女性店員に下すべき処分は、“喧嘩両成敗”が適当な判断でないかと私は思っています。(大岡裁きのようでしょう!(^_^))

令和3年1月

監査担当者 山本 哲也

2020年12月掲載分

~「行雲流水」~

【庭の木が枯れてしまって感じたこと】
 昨年の夏、猛暑だったせいか、ハナカイドウの木の葉っぱがすべて突然枯れてしまいました。20年近く前に苗木を買って庭に植えたところ、毎年毎年春に桜のような花が咲き、子供達の入園式、入学式の写真の背景をいつも飾ってくれていた木でした。秋の終わりに何本かの枝を切り落とし、状況を確認しました。枝の中が空洞になってしまったものもありました。春に少しでも芽が出ればと一縷の望みを託し、幹から切り倒すことはしませんでした。
 いつもいつも決まってあったものが、突然なくなってしまうと、例え些細なものであっても、寂しく感じてしまう自分がいます。執着心があり、人間的にまだまだだなぁと思います。
 そんな時ちょうど「行雲流水」(こううんりゅうすい)という言葉をたまたま新聞で目にして、意味を調べて見ると『空を行く雲と流れる水。一点の執着なく、物に応じ事に従って行動すること。自由に気ままに、何ものにもとらわれないこと。』とありました。なんとなく、その時の自分に必要な言葉を見つけたような気がしました。

  【失敗から学ぶこと】
 自ら進んで故意に失敗をする人はないと思いますが、ミスは少なからず発生するものです。私もとある金曜日の帰り際、業務ミスに気づいてしまいました。そんな時皆さんはどのような心持ちでしょうか?
 「出来れば隠してしまいたい!」、「恥ずかしくて逃げたい!」「自分のせいじゃない!」「大変な事になった…どうしよう」など自分の頭の中でぐるぐるとマイナスイメージが充満してしまうことはないでしょうか?
 私は人間が出来ていないのでぐるぐる嫌な方向に考え嫌な気持ちのまま週末を過ごしてしまいました。あれこれ考えた末、すぐさま失敗を認め、上司や関係者に報告を行い、自らの非をお詫びして、本来あるべき正しい処理をするということが一番という結論に至り、月曜日の朝一番からそのように行動しました。(過去何度もミスをしているので本来ならばすぐその結論に至らなければならないのですが…)
 これも、一点の執着なく、物に応じ事に従って行動する「行雲流水」の精神で行けばよかったと反省してしまいました。しかし、なぜ人間は何度も同じ過ちをしてしまうのでしょうかね?それは私だけでしたか?…(^_^)

令和2年12月

監査担当者 山本 哲也

~心が落ち着く瞬間~

 コロナウィルスの第3波がきて、一部地域ではまた外出自粛要請が出ています。外出できないことでストレスが溜まってしまう人もいるそうです。
 自分なりのストレス発散方法や、どうやったら心が落ち着くのかを考えて実践することが大切なことだと思います。

 私は澄んだ青空を見ていたり、なんでもない山々や川、街並みを見るだけで心が落ち着きます。特に空を見ると「嫌なことがあれば、落ち込んだ気持ちが前向きになり、良いことがあったときはもっと頑張ろう、もっと上手にできる」と向上心が雲のようにわいてきます。こんなに安上がりな人ばかりではないと思いますが、自分なりのリセットボタンがあると良い方向に進みます。

 私は最近までお昼休憩に散歩をしていました。12月に入ってからは寒すぎて歩けていませんが(汗)。11月の暖かいというよりは暑い日に散歩をしていた時に、ふと「こんなに暑いのにセミの鳴き声が聞こえないな」と暦的にはおかしなことを思いました。
 そんな時に空を見ると冬になったんだなと感じるほど雲一つない青空でした。季節感もなくなるくらい周りに関心がなかったのかと自分が情けないなと思うくらいそんなに時間が経ったのかと感じました。

 コロナの影響で自粛せざるをえない人は季節の変わり目を感じることなく、日々が過ぎていくと思うとストレスが溜まるのも仕方ないかもしれないけれど、それをどう乗り越えるか克服するかを考えていかないといけないと思います。
 ウィズコロナなんて呼ばれるくらいコロナと今後しばらく付き合っていかなければならないと考えた時に自分がおかしな行動をしないように心を落ち着けて生活していく術を身につけていかないといけないですね。

 私は自分が話をするのも好きですし、話を聞くのも好きなのでもし愚痴をこぼしたり自慢話をしたいなんて時は私に話してストレス発散であったり、自慢出来てすっきりした気分になってください。いつでも話を聞きます。

令和2年12月

監査担当者 杉浦 翔太

2020年11月掲載分

~法律や規則は何の為に?~

 先日朝散歩をしていると私の目の前の一旦停止の道を猛スピードで通過していく車がありました。「危ない!」と身の危険を感じると同時に少しの怒りを覚えました。一旦停止をしたかしないかぐらいの微妙な状態で交通違反切符を切られたことのある私は「こういう行為こそ警察は取り締まらなきゃいけない!」と猛スピードで通過した車への怒りと同時にそんな思いも抱いてしまいました。(理不尽かも知れませんが…(笑))  

 随分昔、私が子供の頃の出来事です。小学校の校庭でみんなと遊んでいる時、一方通行の道を逆走する車がありました。「交通ルールを守りましょう!」といつも教えられている小学生の私達にとってこの行為は許しがたいものでした。みんなで急いで近くの交番に行ってその状況を伝えようとしましたが、あいにくお巡りさんは不在でした。仕方なくそこにあったメモに車のナンバーと状況を報告して交番を後にしました。正義感に満ちた私たちは「誇らしげな満面の笑み」で、近所の大人達に報告しました。しかし、大人達は少し訝しい表情の「冷ややかな笑み」を浮かべていました。何で「よくやった!」と誉めてくれないのだろうか?と小学生の私は不思議に思いました。その時を振り返って思えば、おそらく、その辺りを走る車は同じ町内の人が殆んどのため、そのぐらいの軽微な交通違反を罰してもらうよりも町内のお付き合いが円滑にいく方が重要だとの忖度からだったのでしょう。 

 法律とは?と辞書で調べると「社会生活を保つために定めた、支配的(特に国家的)な規範。」、「社会秩序を守り、国民の生活をより豊かにするために存在しているルール」とあります。
 最近、防犯カメラ、ドライブレコーダーの普及による窃盗事件、傷害事件、あおり運転等の犯罪摘発に相当の効果を発揮しています。それらのツールを駆使することで私たち一般人でも、社会秩序を保つことに貢献していると言えます。
 一方、コロナ禍に営業していた飲食店等を極端な方法で批判する過度な「自粛警察」は如何なものだろうか?と感じてしまいます。私が小学生の頃、一方通行を得意げに通報したように…(笑)
 当然ですが、法律や規則がまず有りきではなく、人々の幸せや安心安全の確保がまず有りきで、それを補完する為に法律や規則があるのだということをいつも意識して暮らしたいものですね。他人を思いやる気持ちを常に持って。

令和2年11月

監査担当者 山本 哲也

2020年10月掲載分

~祖父からもらったハーモニカ~

 NHKの朝ドラ「エール」が地元豊橋もロケ地になったこともあり、毎日みています。ある日の放送で戦時下の物語が描かれていました。主人公がミャンマー奥地に慰問に行き、そこで兵隊を集めて小人数ですが楽団を組み、音楽を奏でるというシーンがありました。しかし、敵襲に遇い多くの人がその場で倒れていきました。戦争の悲惨さ、無意味さが描かれていました。
 20年ほど前に亡くなった私の母方の祖父は、出征しミャンマー(旧ビルマ)の部隊に配属され戦時下を生き抜き帰還しました。九州の佐賀県に住んでいたため、私が祖父と会ったのは十数回ぐらいだったと思います。あまり多くない祖父との思い出で40年程経った今でも印象に残っている出来事があります。それは、私が小学生の高学年か中学生だった頃の事です。その時、祖父はおもむろにハーモニカ (YAMAHA製)を取り出して、“おてて つないで 野道を行けば ♪“が歌い出しの「靴が鳴る」を吹いてくれました。吹き終わるとそのままそのハーモニカをシャツの袖で拭き、私に手渡しました。私の記憶の中の祖父は寡黙な人で、あまり言葉多く語ることはなかったので、どんな想いでそのハーモニカを私に手渡したのかは言葉では伝えませんでした。
 その後、祖父が亡くなるまで、会う機会は何回かありましたが、私がその事を聞く事も、祖父が語る事もありませんでした。
 今となってはもう聞くことができません。戦争で徴兵され外地に赴き、生きるか死ぬかの修羅場をくぐり抜け生還する。ここで私が薄っぺらな文章でいくら表現しても表し切れない深い想いが存在していた筈です。
 どんな想いを祖父が持っていたかを私は自分で想像する範囲でしか理解することしか出来ません。私が祖父の実際の想いの8割ぐらい理解したのか、1割も理解していないのか、それは誰にもわからないことです。
 言葉では伝えきれないものはこの世に無限に存在します。
 音楽であったり絵画などの美術品であったり、人の行動、所作であったり様々です。

 伝え継承していかなければならないものとは何か?
 私の中のその答えの一つが、今尚、手元にある75年以上前のキズやへこみがある、祖父からもらったこのハーモニカです。このハーモニカを見て、祖父の想いがどれほどだったのかと、私が想いを巡らすことに充分意味があることであり、後生に伝えたいことだと思っています。

令和2年10月

監査担当者 山本 哲也

2020年9月掲載分

~常に種を蒔き続ける!~

 このインフォメーションも毎月毎月書き続けて7年が経ちました。この程度の内容、文章量でも素人の私が毎月書くのはそれなりに労力がかかり大変でしたが、何とか続けてやってきました。
 ネタが無く苦しんで期日ギリギリで絞り出した結果、中身の薄い内容になってしまったり、逆に難なくすらすらと文章が出てくる時もありました。この「インフォメーションを書く」という課題を早めに済ませたくて無理矢理書こうとする時よりも、何を書こうか全くプランがなくてもフッと湧いてきた文章の方が自分自身の評価としては出来がいいと思える文章となることが多いです。(売れっ子作家が言っているみたいな感想で恐縮ですが…)
 違いは何か?と振り返って考えてみると、それは私自身の心の持ちようの違いだったと気付かされました。
 「書いて提出する」という作業をこなさなければならないという心持ちの時は辛く苦しく感じます。
 それとは逆で、ある出来事を目の当たりにして「誰かに伝えたい」「誰かの参考になるかも」と思える時は、割とすらすらと書くことが出来、苦になりません。
 その事を認識してからは、まず「伝えたい出来事」を探すようになりました。どんな小さな出来事でも自分の心に留まる事は、忘れないようにその時なるべくスマホにメモするようにしました。アンテナを張って情報収集をいつでも行うことを心掛けました。当然その収集したすべての情報を書き出すことは出来ません。ボツネタもあります。それにめげずに続けていくことが大切だと自分に言い聞かせています。(^_^)

 これは、会社経営にも役立つ考え方であると私は感じています。
 ある社長に「この先行き不透明な時代にどう会社を経営していけばいいのか、何か良いアドバイスはないか?」と言われたことがありました。「起死回生の一発逆転満塁ホームラン!」のようなアドバイスを私が出来る訳もありません。現状その会社では取り組んでいない小さな具体的な対策例を何個か挙げました。つまり、「いろんな種を蒔き続ける」ということが私の回答でした。
 企業の経営理念、経営方針で「種を蒔く」というワードを使っているのをしばしば見かけます。それだけ、この考え方が経営に効果があることを示してます。
 蒔いても芽の出ない種もあるかもしれませんが、種蒔きをしないで花が咲き、実がなることはありませんね。まずは地道に種まきをひたすら続けて行きましょう!

令和2年9月

監査担当者 山本 哲也

2020年8月掲載分

~過度な保守主義に走らない!~

 先日、電話で注文し、宅配便を利用した買い物をしました。注文時に決済方法を商品受け取り時のカード払いを指定しました。そして商品が届く日、初老の宅配業者が届けに来ました。しかし、彼は荷物を抱えながら「カード払いカードリーダーの電池が切れているので、現金で支払ってくれませんか」と言ってきました。電話注文時に支払い方法を指定していたのを購入先に確認せずに変更しても良いものか、現金も急に用意するも面倒だなぁと躊躇していると「分かりました。カードリーダーを充電して明日また来ます」と荷物を持ったまま、そそくさと帰ってしまいました。荷物をここまで持ってきておきながら…“おいおい!?“って感じでしたが、急を要する物でもなかったのでそのままやり過ごしました。 
 そして翌日。今度は準備万端かと思いきや、カードリーダーの電池は充分でしたが、機器の操作がおぼつかなく30分かけてやっと支払い手続きを完了。その間、愚痴ともつかぬ言葉をぶつぶつ言いながら。まるで現金支払いに応じてくれればこんなに苦労せずに済んだのに!とでも言いたげな感じでした。 

 私の立場からすれば、明らかに先方の不手際であり、しかも前日荷物を持って来ながらそのまま次の日に再配達するという大失態を目の当たりにし、通常であればこちらが大クレームを言っても当然の状態でした。それでもクレームを宅配業者本部やお客様サービスセンターの類いに申し出なかったのは、その初老の人に憐れみを感じたからでした。(人生の先達に対して上から目線で失礼かもしれませんが…)
 人間は年を取ると自己防御本能というものが働いて、変化を求めなくなるというか変化を受け入れたくなくなるそうです。カードリーダーを上手く扱えないことに対して、自分の技量(?)を向上させるのではなく、自分は変化せずに、そのカードリーダーを極力使わないようにするという周りの環境を自分に合わせさせようとする思考回路は正に自己防御本能そのものですね。
 企業会計に「保守主義の原則」という考え方があります。予測される将来の危険に備えて慎重な判断に基づく会計処理を行うことを要請する原則です。それは、企業の事業活動をより長く継続させるためには、将来の予期せぬ事態に備えて利益をやや控えめに計算し、企業体力を温存するような会計処理を許容することも必要だという考え方です。当然ですが、事実を歪めるような過度な保守主義は禁止されています。
 人間の生き方も、企業経営も適度な保守主義は必要ですが、過度な保守主義は禁物ですね。最近の私自身も変化を求めない保守主義にどっぷりと浸ってしまってないかと考えさせられるエピソードでした。皆さん、最近のご自身はいかがでしょうか?

令和2年8月

監査担当者 山本 哲也

2020年7月掲載分

~自分の心に正直に行こう!~

 ある経営者が会社の為に営業的にどうしてもやらなければならないことがありました。私から見てもそれはその会社の存続にとって必要不可欠でやむを得ないと思われることでした。けれど「心が痛い」と仰っていました。
自分の気持ちに反して行動をしなければいけないことは辛いですね。
一方、別の経営者は「些細なことだけどこれだけは自分の気持ちに反してしまうのは嫌だ」と言って、自分の正義を押し通しました。その件に関しては、世間一般的には、そこまで律儀にする人はあまりいないかもしれませんでしたが、私はその方の判断は正しいと思いました。
 どちらのケースも具体的に記載することが出来ず、抽象的で少しわかりにくい表現ですが、自分の素直な心に従って、行動すること・行動できることというのは、人の心にとって大切なことですね。もちろんその行動が法律に違反することであったり、世間一般的な常識を逸脱し他人に害を与えるものではいけませんが… 

 30年近く前、私も自分自身の心に素直な気持ちでいたいと日々強く思った時期がありました。その頃の私は飛び込み営業をしていました。毎週金曜日に行われる夕方の会議が嫌で嫌でたまりませんでした。そこでは翌週以降の見込み客をA見込み客(成約間近の予定客)~C見込み客迄リストアップし報告することになっていました。管理する側からすると各人の報告から営業所に課せられた予算を積み上げて行くので重要なものです。その報告する見込み客のランクが適正なものか否か自分自身で違和感を覚えながらも無理矢理ランクアップさせて報告しないといけない状況に私は常に追い込まれていました。(今から思えばそんなことは上司は簡単にお見通しだったと思いますが…) 自分の弱さが自分を追い込み、自分自身に嘘をつき、そして自己嫌悪に陥るといった悪循環にもがいていました。毎週末こんな思いをしたくない、もともと経理関係の仕事をしたいと思っていましたが、このままその会社にいても経理部門に配属されることはまずないなと世間知らずで浅はかな自らの判断で新しい環境を求めて転職しました。
 周りからは「もったいない」とか「石の上にも三年だぞ」とか言われましたが、自分の素直な心に従って行動を起こしたことで後悔の念は全くなく、スッキリとした心持ちになりました。それから今日まで、自分自身の素直な心に極力従うように行動してきました。その間、自分が嫌な思いをしたり、逆に相手の人に嫌な思いをさせたりしたことも数知れずあったと思います。
 そうであっても自分の心に素直に、正直に行動をすることは生きていく中で一番大切にしたいことだと思っています。また、そのように行動できる環境に身を置けることが幸せなのだと思います。

令和2年7月

監査担当者 山本 哲也

2020年6月掲載分

~用意周到か?泥縄的か?~

【コロナ禍の中の免許証書換】
 コロナ渦の中、運転免許証の書換時期を迎え、仕方なしに向かいました。混雑しているかと思い朝一番で行きましたが既に長蛇の列でした。行列はテーマパークのアトラクション待ちか人気飲食店の行列待ちのように四重五重となって200人か300人程となっていました。検温とアルコール消毒、マスク着用というコロナ対策はしていましたが行列に並ぶ間隔もぎゅうぎゅう詰めでした。けれど講習を受ける部屋は2つの席の内1つに×印がついていてそこには座れないようになっていました。その為、受講待ち時間が発生し、私は1時間待ちとなりました。ゴミゴミした三密の状態で受付、検査、写真撮影等で1時間、それが終わって講習が始まる迄の待ち時間が1時間、それから講習を受けて免許証をもらうまで1時間、5年前の前回の免許証更新に比べ倍以上時間がかかってしまいました。終わって一階に降りてくると受付の待っている行列は朝一番よりは幾分解消されていましたが、駐車場が満車状態となっていました。
 今回の更新出来る条件の一つに『更新延長の申請を出していないこと』がありました。念のため先に延長申請を出しといて緊急事態宣言が解除されたら普通に期限内に免許証更新に行けばいいと思った人は本来の期限内に更新手続きが出来ないのです!
 後になってから、そんな条件が付されました。私も当初は延長申請を出しておいて、行けるようになったら行こうと、“二段構え“を考えていましたが、延長申請をなかなか出すことが出来ませんでした。そうこうしている間に緊急事態宣言が解除され、延長申請を出していない私は通常の期限内に免許証の更新をすることが出来ました。もし、“二段構え“をしていたら今頃「いつになったら更新できるようになるのだろう?」とやきもきしていたことでしょう。 

【用意周到に対応VS泥縄的だが瞬発力ある対応】
 私は、心配性なので嫌なこと面倒なことはなるべく早く済ませたいタイプの人間です。あることが気になるとそれが心のどこかに引っ掛かって気になって仕方ない、そんな感じです。子供の頃、夏休みの宿題はなるべく早目に済ましていました。逆に8月31日まで宿題を終わらせずに遊び続けられる人は凄いと思っていました。
 ただ社会に出てみると、余裕を持って宿題を済ますことが出来る状況はなかなか稀です。8月31日にギリギリ切羽詰まって宿題をこなす瞬発力ある対応が求められますね。
 そんな思いで締め切り間際にこのブログを必死に書いています。(^_^)
 皆さんはどちら派? えっ…両方ですか?

令和2年6月

監査担当者 山本 哲也

2020年5月掲載分

~目に見えないものの存在~

【リモート飲み会にて】
 コロナ禍の中、先日大学時代の友人5人とのリモート飲み会に参加しました。久しぶりだったので近況報告から始まって、コロナウイルスの影響をどう受けているかを話していました。暫くすると私の写っている画面だけが明るくなったり暗くなったりを繰り返すようになりました。リモートでの通信は、携帯電話の電池が少なくなったり、Wi-Fiの電波状況が悪いと回線が切れてしまったりすることがあるので、通信回線状況が悪くそうなってしまうのかと思いました。もう一人、画面が固まってしまって音声だけが聴こえる状況になってしまった為、一旦リモート飲み会から全員退出して、再度設定した後、再び参加することにしました。再開後もう一人の状況は改善されましたが、私の画面の明るくなったり暗くなったりの状況は改善されませんでした。なんでだろう?と原因分析を皆でしている時、私がいた部屋の蛍光灯が点いたり消えたりし始めました。 (^_^)
 リモート飲み会に参加する場所を普段あまり使っていない和室にしていたのですが、蛍光灯を点けることもほとんどなく、20年以上蛍光灯を替えていないことにその時、初めて気付きました。 

【見えない光や聞こえない音がある!】
 同じ光でも実際に人間が目で見られる範囲と最近の性能のいいカメラが捉える範囲は違い、人間の目が捉える光の明暗よりも、カメラはもっと精密に光の明暗を認識していたことに改めて驚きました。
 昔、子供向け番組でやっていた実験でテレビのリモコンの赤外線を見られるというのを知って、実際にやってみたところ、リモコンから発せられる赤外線を本当に目視できた時の驚きと似た感覚を得ました。
 また、年をとると聞こえないモスキート音のような音を発する機械を、若者が長時間たむろしないように店頭に設置するコンビニがあると聞いたことがあります。
 これらの例だけでなく、世の中には、実際には存在しているのに自分には見えないものや聞こえないものがある、もっと極端に言えば自分の感覚や知識は無限にある事象のほんの一部しか把握できない程度のものと意識して、自身の能力を謙虚に評価しなければならない側面があると思います。
 一方、その逆に見えないものや知らないことを過剰に恐れることは、自身の行動を極端に制限することになるため、「中庸」を意識して極端な考え方にならないようにしたいものですね。(^_^)

令和2年5月

監査担当者 山本 哲也

2020年4月掲載分

~先の見えない不安~

【問題先送りにしたつけが…】
 ここ半年ぐらい少し疲れて来ると歯茎に痛みを感じる時がありましたが、少々痛くなっても、忙しさにかまけて歯医者に行きませんでした。嫌なことを後回しにしていました。(^_^)
しかし、先日、歯茎から出血して血が止まりにくくなって痛みを我慢するのも限界になった為、半休をとって歯医者に行くことにしました。その日は木曜日で今まで行っていた歯医者は休診日。電話帳やネットで歯医者を検索しましたが木曜日休診が多くのなかなか探せませんでした。ようやく歯医者を見つけ、直ちに治療に向かいました。診察を受けると左上の奥歯の歯茎が炎症を起こしているとのこと。原因の一つはその奥の親不知が虫歯になっているからで、次回その親不知を抜くことを問答無用に宣告されました。問題を先送りにしていたつけが回ってきました。(>_<)

【歯医者にて】
“歯を抜く“となると、恥ずかしながら、この年齢になっても恐怖感というか不安感を抱いてしまいました。歯を抜くことを宣告されてから抜くまでの一週間は、仕事など何かに集中している時や、何か行動をしている時は大丈夫なんですが、ふと気が抜けた時に“歯を抜かなければならない“という恐怖感・不安感が頭をよぎりました。
そして歯を抜く当日。治療する椅子に座って待っている時間10分。治療始まって抜くまで同じく10分。どちらが長く感じるか?当然前者の10分が数倍長く感じました。何故でしょうか?それは、10分間という限られた同じ時間の中でも、頭の中で不安なことを考えてしまう回数や時間が多かったからと思います。 

【不安な時の心の持ち方】
今、未曾有の不安や恐れが世間を席巻しています。私達はその不安や恐れに真っ向から対峙して、万全に漏れなく完璧な対策を講じることが可能でしょうか? 当然の事ながら、自分自身の出来ることは漏れなく対策を講じるべきだと思いします。しかし、限界があります。
限界があるのに“完璧主義“の遂行を心の拠り所とすることでは、安心は得られないと思います。完璧とならないことで、逆に不安が増長され自身の心を蝕んでいくような気がします。
自身が出来る限りの行動を実施した上で、天命を待つ!と決断すれば健全な心は保たれるような気がします。歯を抜くぐらいでオロオロする人間の考えですが…(^_^)

令和2年4月

監査担当者 山本 哲也